柔道はなぜ「誤審ピック」に泣かされるのか…シドニーで「世紀の誤審」、ロンドンでは監督としても涙を呑んだ「篠原信一氏」の例も

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 第1回【「阿部詩」に続いて兄「一二三」も号泣…柔道“誤審ラッシュ”で問われる「外国人審判のレベル」 1984年のロス五輪から「常に問題視されてきた」】からの続き。80年代から90年代にかけて、日本のスポーツメディアは、柔道では外国人審判のレベルが低すぎる、との記事を掲載していた。(全2回の第2回)

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 こうした不安が日本人にとっては最悪のタイミングで現実のものになったのが、2000年のシドニー五輪だった。

 9月23日、男子100キロ超級の決勝戦が行われ、日本の篠原信一とフランスのダビド・ドイエが対戦した。篠原は不可解判定で敗れてしまうのだが、これは「世紀の誤審」として今も語り継がれている。担当記者が言う。

「1分39秒にドイエ選手が強引に内股を仕掛けたところ、篠原選手は逆手にとって『内股透かし』でドイエ選手の背中を全部、畳に付けさせました。当時の審判は主審が1人と副審が2人で、副審の1人が一本勝ちを宣告し、技に自信のあった篠原選手はガッツポーズをしたほどでした。ところが主審は有効とし、電子掲示板にはドイエの有効だと表示されたのです」

 日本選手団は記録員のミスによる電子掲示板の誤表示だと判断し、すぐさま抗議しなかった。これが裏目に出た。

「主審は本当にドイエ選手の有効を宣告していたのです。かかっていないはずの内股をかかっていたと判断したことになります。ところが試合が進むと、ドイエ選手は消極的姿勢だとして篠原選手が有効を獲得、同点に追いつきました。そして3分40秒過ぎにドイエ選手が小外掛けで有効を奪い、試合が終了してドイエ選手の金メダル、篠原選手の銀メダルが決まりました」(同・記者)

原因は外国人審判の能力不足

 有働由美子アナは当時、NHKに勤務していた。シドニーのスタジオから生中継を行っていたのだが、「篠原選手の銀メダルが事実上確定しました」と言った後、数秒絶句。更にレポートを続けたのだが、頬を涙が伝わったことも大きな話題となった。

「スポーツニッポンと毎日新聞は誤審の真相を深掘りした記事を掲載し、原因は外国人審判の技量不足だと結論づけました(註1・2)。『内股透かし』は内股をかけられながら、カウンターで返すという技です。両紙は篠原選手の『内股透かし』は、あまりに高度でスピードがあったため、外国人審判は理解できなかったと指摘しました。国際柔道連盟の審判委員会は2000年10月、事実上誤審を認める報告を理事会に提出しました。ただし、篠原選手に金メダルが与えられることも、審判が処分されることもありませんでした」(同・記者)

 国際柔道連盟は2003年9月、翌年8月にアテネ五輪が開催されることを受け、審判の選考基準を見直すことを確認した。篠原選手への誤審を深刻に受け止め、再発防止を最優先にしたのだ。

 従来は大陸ごとに審判の人数枠を割り振っていた。これを改め、審判の選考では判断力や審判技術を重視し、大陸の人数枠には囚われないことにしたのだ。裏を返せば、それまでの五輪では大陸枠が存在したため、判断力や技術に問題のある審判も選出されていたことになる。

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