「脅されて結婚したようなもの…」恐妻に隠れて不倫する46歳夫が選んだ、“よりにもよって”の相手とは
“ヤングケアラー”だった智花さん
単なる恐妻家ということではないようだ。事実の深いところをあまり語ろうとしない奏汰さんに少しずつ話を聞いていった。
「智花は今で言うヤングケアラーだったようです。中学時代、母親から近所に住む父方の祖母のめんどうを見てほしいと頼まれた。母親はパート主婦だったんですが、『仕事が忙しいからお願い』と言われた。智花は、父と母の不仲の中で育ち、当時は母がかわいそうと思っていたから、それを引き受けた。学校へ行く前に祖母のところに行き、学校から帰ると祖母のところで夜まで過ごした。最初のうちは祖母も伝え歩きくらいはできたようですが、そのうち足腰が弱って寝ていることが増えていった。当時はまだ介護制度も始まっていなかったから、誰かに頼むこともできない。体を拭いたりおむつを替えたりしながら、どうして自分がこんなことをしなければいけないのだろうと思うようになったそうです。塾には行けず、祖母宅で介護をしながら受験勉強をしていた。父も母もめったに祖母宅には来なかったようです。彼女には兄がいるんですが、両親と兄はぬくぬくと自宅にいたって。大学時代の彼女はものすごく明るくて、友だちへの気遣いもピカイチで人気者でした。つきあうようになってからそういう話を聞いてびっくりしたんです」
同時に彼女は、「高校に入ってからも同じ生活だった。心の中で常に祖母が死ぬことを願っていた。ある日、祖母が『こんなに生きててごめんね』と言ったとき、私の心を見透かされていると思った」と言った。その数日後、容態が急変、救急搬送されたが亡くなったそうだ。こんな話を聞かされたら、奏汰さんでなくても心を寄せてしまうだろう。
「彼女は根本的にホスピタリティが高いんですよ。祖母の介護をしていたからそうなったのか、もともと奉仕の精神が備わっているのかわかりませんが。仕事も、そういう彼女に合った社会福祉的なものに就いています。基本的に僕は彼女に敬意を抱いていますが、感情的に激しいものも秘めている人で、それをふだんは出せないので、ときどき荒れ狂うことがあるんですよ」
「家庭になじまされたということ」
一方の奏汰さんは、自分が鈍感なせいもあり、育った家庭に特に思い入れもトラウマもないと言う。男ばかり3人きょうだいの真ん中で、親からは期待もされず、特にかわいがられもせずほぼ放任状態だった。それが居心地よく、他者からかまわれるのがあまり好きではない。智花さんはホスピタリティが高いのに、奏汰さんにはそれを向けることはまずないのだが、それがかえっていいと思ったそうだ。人と人の結びつきは、理屈だけでは説明できないものがある。
「智花は、親とは疎遠になっていましたから、結婚式もしませんでした。うちの親は結婚式くらいすればいいのにと言っていたけど、智花の状況を説明したら、しなくていいよと。でも智花、なぜかうちの親には懐いているんですよ。兄は結婚して海外に住んでいますし、弟はいまだ独身。娘がいなかったからうれしいと両親は智花にはとても優しい。奏汰には内緒だよと、結婚したてのころは智花を外食に連れ出したりしていたようです」
32歳のときに長女が、2年後に次女が産まれた。奏汰さんの両親は智花さんを全面支援、彼にも「ちゃんと子どもの世話をしなさい」と母が真剣に怒ったこともあった。
「いやでも家庭になじまされたということです。でも娘たちはかわいかった。世の中には天使がいるんだなあと柄にもなく本気でそう思いました。自分の子だからということなのか、産まれたときからずっとそばで見てきたからなのかはわかりませんが」
意味深な言葉だった。そして結婚してから10年後、彼は「運命の」出会いを果たすのだ。
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