【五輪ゴルフ】銅の松山英樹は「痛恨のパー」に唇を噛み締め…トップ選手たちが本気の大混戦、勝負をわけたポイントとは

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松山も最終ホールは「痛恨のパー」

 パリ五輪の男子ゴルフ競技は、米国代表のスコッティ・シェフラーが金メダルを獲得。英国代表のトミー・フリートウッドが銀メダル、そして日本の松山英樹が銅メダルに輝いた。松山は日本男子ゴルファーとして史上初の五輪メダリストとなった。

 最終日を首位から4打差の6位タイで迎えたシェフラーが、9バーディー、ノーボギーの快進撃で猛チャージをかけ、堂々と金メダルを手に入れた。その戦いぶりには、世界ランキング1位の余裕さえ感じられた。

 とはいえ、ホールアウトした時点では、シェフラーの金メダルは確定してはおらず、フリートウッドが72ホール目の18番でバーディーを奪えば、シェフラーとフリートウッドは金メダルを競い合うプレーオフに突入することになっていた。

 だが、フリートウッドのチップイン・バーディーはならず、その瞬間、シェフラーの金メダルが決まった。

 最終日を首位から3打差の4位タイからスタートした松山は、6バーディー、ノーボギーとスコアを伸ばし、メダルに迫っていった。72ホール目の18番であと1つスコアを伸ばせば、銀メダルの可能性もあったが、バーディーパットはぎりぎりカップに届かず、松山は唇を噛み締めて悔しさを露わにした。

 フリートウッドにとっても、松山にとっても、最終ホールのパーは、もう1つ上のメダルを目指すという意味では「痛恨のパー」ではあった。しかし、表彰台に立ち、メダルの重みを感じることができた金銀銅の3人は、みな至福のひとときに浸っていた。

トッププレーヤーたちが「本気モード」

 五輪におけるゴルフ競技の歴史は少々複雑である。初めてゴルフが五輪で行われたのは1900年のパリ五輪。次なる1904年のセントルイス五輪でも男子のゴルフ競技は行われたが、その後は自然消滅してしまった。

 2016年のリオ五輪でゴルフは112年ぶりに五輪競技として復活したが、「僕たちはメジャー優勝を目指してきたのに、突然、五輪のメダルを目指せと言われても……」と、当時はトッププレーヤーたちの多くがそっぽを向き、欠場者が続出した。次なる東京五輪はコロナ禍の影響で無観客開催だった。

 そんな経緯があった後、今回のパリ五輪は、近年の五輪では3度目にして初めて世界のトッププレーヤーが集結し、大勢のギャラリーの目の前で披露されたゴルフ競技となった。

 8年前はメダルの重みを軽視していたトッププレーヤーたちも、リオ五輪や東京五輪で表彰台に立った選手たちの至福の表情を目にして、「次こそは自分がメダルを!」と本気モードでパリ五輪にやってきた。

 だからこそ、パリ南西のゴルフ・ナショナルで繰り広げられた4日間72ホールの戦いは、熱い大混戦になった。

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