柔道大国「フランス」の競技人口は「日本の4倍以上」 国際化したJUDOに募る“不満”…専門家は「チャレンジ制度の導入も検討すべき」

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チャレンジ制度は必要

 こうした改革は日本人の“柔道観”に合致しているだけでなく、スポーツとしての柔道の魅力回復につながった。

 ただし、溝口氏はパリ五輪の柔道で多くの日本人が感じた“モヤモヤとした疑問”にも理解を示す。この解消は柔道の発展のため必須だという。

「今の審判が積極的に一本を認めるようになったのは、とてもいいことだと思います。しかし、今度はピンからキリまで一本を認めるようになってしまい、内容のばらつきが目立っています。誤審疑惑が取り沙汰されることも多く、視聴者の“モヤモヤとした疑問”が増えている理由です。この問題を放置するわけにはいきません。やはり野球やテニスのようなチャレンジ制度の導入を検討すべきでしょう。審判の判定にコーチや選手が異議を唱え、ビデオ判定でチェックするわけです。さらに審判が一本や技ありと判定した技を発表しないことも問題だと考えています。大相撲は自文化中心主義を代表するようなスポーツですが、必ず『決まり手』や『物言い』について発表、説明します。どういう技で勝利したのか、なぜ取り直しなのか、明白なので、好角家の目が肥え、相撲文化の成熟に寄与しています。柔道も審判が判定した理由をしっかり発表することで、“モヤモヤとした疑問”が減るのは間違いないでしょう」(同・溝口氏)

 溝口氏の憂慮は現実のものになってしまった。女子78kg級の準々決勝で、高山莉加はビデオ判定の末に3つ目の指導を受けて反則負けとなった。

 パリ五輪の公式サイトでは3つ目の指導に関しては「Undetermined」と記載され、これは「未確定」の意味だ。大相撲との違いを指摘するまでもなく、指導の理由が「未確定」では“モヤモヤとした疑問”が解消されることは絶対にない。

 第1回【「どうして攻めてるのに反則負け?」パリ五輪「柔道」で相次ぐ炎上騒動…日本人が理解できない「JUDO」への違和感】では、柔道とJUDOの違いが生まれた原点を遡り、溝口氏が「多文化共生主義の象徴であるJUDO」について語っている。

デイリー新潮編集部

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