「どうして攻めてるのに反則負け?」パリ五輪「柔道」で相次ぐ炎上騒動…日本人が理解できない「JUDO」への違和感

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多文化主義とJUDO

 日本人の“柔道観”と外国人の“JUDO観”が異なることがよく分かる記事であり、この対立は今も変わっていないということなのだろう。

 スポーツ社会学者の溝口紀子氏は、1992年のバルセロナ五輪では女子柔道52キロ級で銀メダルを獲得したことで知られる。溝口氏はフランス柔道ナショナルコーチを務めた経験もあり、柔道とJUDOの違いにも詳しい。なぜ、少なからぬ日本人がJUDOに違和感を持つのか、取材を依頼した。

「学術的に言えば、多文化主義と自文化中心主義の対立でしょう。パリ五輪の柔道ではアゼルバイジャン、ジョージア、カザフスタン、クロアチアといった国々から金メダリストが誕生しました。率直に言って私たちにはなじみの薄い国ですが、金メダルを獲得するほど柔道が普及しているわけです。驚いた日本人も少なくなかったのではないでしょうか。柔道は世界中で人気を獲得し、JUDOとなって多文化主義を代表するスポーツになりました。その結果、どうしても日本の伝統的な柔道とは違うところが出てきます。そのため自文化中心主義の人は不満を感じるというわけです」

ル・ジュウドウの時代

 ソフィア・コッポラ監督の映画でタイトルにもなった、「ロスト・イン・トランスレーション(lost in translation)」という英語の慣用句がある。オンラインの英和辞典「英辞郎」は《〔重要な伝達事項などが〕翻訳で失われる》と定義している。

「村上春樹さんの小説を考えてみましょう。オリジナルの日本語版と英訳版を完全に同じ作品と見なすことは、やはりできません。翻訳で失われてしまうところがあるからです。柔道も世界中に広まっていく過程で、オリジナルとは異なる部分が出てきました。ただし、日本を発祥とする柔道が、これほど世界の人々から人気を博していることを、積極的に評価してもいいのではないでしょうか。フランス人の柔道関係者と話をしていても、『私たちは日本の柔道も尊敬しているが、自分たちの“ル・ジュウドウ”にも誇りを持っている』と言います。柔道にフランス語の定冠詞である『ル』が付く時代になったということは、とても重要な視点だと思います」(同・溝口氏)

 第2回【柔道大国「フランス」の競技人口は「日本の4倍以上」 国際化したJUDOに募る“不満”…専門家は「チャレンジ制度の導入も検討すべき」】では、なぜ日本人は組み手争いを嫌がるのか、90年代にピークを迎えた“ポイント柔道”を振り返った上で、溝口氏が「誤審や日本人の“モヤモヤとした不満”を払拭し、スポーツとしての面白さも増加させる柔道の改革案」を提案する。

デイリー新潮編集部

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