裕福な家に生まれれば「少々薄ぼんやりの坊ちやん」でも大学に行ける――《教科書にも載っている偉人》が唱えた「親ガチャ」論
2021年の流行語大賞にノミネートされ、今やすっかり社会に定着した観のある「親ガチャ」。どんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、その当たり外れによって人生が大きく左右されてしまう状況を表現する言葉だ。
じつは「日本社会主義の父」として教科書にも載っている堺利彦(1871~1933)も、現代の「親ガチャ」論とまったく同じような議論を展開している。中でも堺が注目したのが「中の下」クラスの人々であった。日本思想史研究者・尾原宏之さんの新刊『「反・東大」の思想史』(新潮選書)の中から、一部を再編集してお届けしよう
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「学力」も運のうち
1904(明治37)年、堺利彦は幸徳秋水とともに日本ではじめてマルクス=エンゲルスの『共産党宣言』を翻訳し、大正後期には日本共産党(第一次)にも加わることになるが、社会主義者となってからは学歴問題とどう向き合ったのだろうか。
マルクス主義は、学歴コンプレックスの軽減に役立つことがある。1925五(大正14)年、堺は「世の中のからくり」を大衆向けに解説した『現代社会生活の不安と疑問』という本を刊行する。そこで堺は、大学などの高等教育機関で学ぶ者は「非常に優秀な人物」であるという一般的常識を批判した。
実際の彼らは、ごく一部の「有産階級の子弟」の中から選ばれた「比較的優秀な者」にすぎない。人間(男)の境遇は、「親の身分や地位や能力」によって決まる。貧困であれば中等教育以上に進めないので、優秀な素質を持っていたとしても工場労働者、人力車夫にならざるを得ない。
同世代100万人のうち半分は成年までに死に、残り50万人のうちの2万人が特権的に高等教育を受けて「高級の職業」に就く。8万人が中等教育まで受けてその下役となり、残り40万人程度が小学校を卒業して小僧、給仕、少年工などになる。「苦学生」「貸費生」「有力者の補助に依つて高等教育を受ける人」は例外的に存在するが、それらは実質的に「有産階級の一部、若しくば其の附属」と見なしてよい、という。
東大を頂点とする学歴体系のどこに陣取れるかは本人の素質や能力と関係がない。基本的に、どの家に生まれ落ちたかという運の問題である。すぐれた素質を持っていても家が貧困ならば栄養失調で死に、または納豆売りをしながら形だけ小学校を卒業し、やがて下層労働者となる。
一方、裕福な家に生まれれば、たとえ「少々薄ぼんやりの坊ちやん」でも大学に行き、留学もでき、社会の上層を占めることができる。「男の一生は力量次第、勉強次第、心掛次第」などというのはまったくのウソ、実際は生まれつき重い石を背負った者と自転車に乗った者の競争で、後者が勝っているだけである。
階級闘争への招待
堺は資本主義社会の不公平と格差を強調し、階級闘争の必然性を説く。
「社会の下積として踏みつけられてゐる」労働者は、必ず決起する。だがその前に、労働運動の「先鋒」が生まれる必要がある。その一角を占めるのは、「高等教育を受けた連中」「中等教育を受けた連中」の中から出てくる、脱落者たちである。
社会的な進学熱の上昇を受けて学校が増設され、学歴を持つ者が供給過剰となっている。彼らは本来得られるはずだった地位を得られず、失業や賃下げの危機に直面している。高等教育を受けた者は本来「支配階級(権力階級)の一部」になるはずだったが、やがて「下廻り」程度の仕事しか得られなくなる。多くの者は不平をいいつつ転落に甘んじるだけだが、一部の「頗(すこぶ)る優秀な連中」は違う。自分たちの経験を通して「下層階級」に対する同情と義憤を募らせ、理想社会への「アコガレ」を抱き、労働者の「代表者、指導者、援助者」に転化していく。
また、「中流階級」の自意識を持つ「中等教育を受けた連中」も没落し、特に「中の下」クラスが「無産階級化」する。彼らも運動に加わる。この層は「本来の労働者の水準以上」の知識を持っているが、彼らは上から中に落ちたのではなく、中から下に落ちたのでもはや助かる見込みがない。したがって労働運動への本気度がまるで違うのである。
この記述が、かつて自分で訳出した『共産党宣言』の平易な解説であることは明らかだろう。そこには、「工業の進歩によって、支配階級のあらゆる組成分子がプロレタリア階級にけおとされる」、「支配階級の小部分はこの階級を見捨てて、革命的階級に、未来をその手ににぎる階級に結びつく」などと書いてあった。
※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。