【パリ五輪】加納虹輝が個人初「金メダル」に輝いたフェンシング 実ははるか昔にも“無類の強さ”を誇った日本人がいた(小林信也)

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日本協会設立に貢献

 寅雄には複雑な失意と少なからぬ怒りがあったろう。その怒りは力を発揮できなかった自分に対するものだったかもしれない。

 アメリカで剣道に近いサーブルに出会った寅雄は、40年に開催予定の東京五輪出場を目指した。しかし、戦火の影響で中止、ここでも不運に見舞われる。

 寅雄は戦後GHQが剣道を禁じた時期、中央大や明治大でフェンシングを指導し、47年に日本フェンシング協会の設立に貢献した。

 50年再び渡米。60年ローマ五輪ではアメリカ代表監督、64年東京、68年メキシコではコーチを務めた。

 69年、ロスで剣道の稽古中、心筋梗塞で他界。ネスカフェのCM撮影を済ませ、真剣を携える寅雄の映像が全米に流れる直前の出来事だった。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年8月1日号掲載

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