1万3000人の女性と関係? 88歳「アラン・ドロン」の最後の交際相手は日本人、凄すぎた女性遍歴を映画評論家はどう見ていたか

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駆け出しの俳優でも若手スターと同棲

 インタビュアーが《アラン・ドロンはこの話、知らないんですか》と質問すると、吉崎さんは《もちろん。何でも彼が関係した女性は1万3000人とか聞きますから、私のことなんか覚えてないですよ》と答えている。

 若き日のアラン・ドロンの映画やスチールを見れば、1万3000人という数字に信憑性を感じる人は多いだろう。今は“イケメン”と形容されることが多いが、正統派のドロンは“二枚目”の言葉が似合った。それも“世紀の二枚目”とか“二枚目の代名詞”と呼ばれた。実際、映画史に残る美貌という評価が定着している。100年に1人の逸材というわけだ。

 彼の人生も波瀾万丈だ。4歳で両親が離婚し、母親に引き取られるが、再婚した義父との折り合いが悪いなど、家庭不和に苦しんだ。17歳でフランス海軍に入隊し、20歳で除隊すると様々な職業を転々とする。

 あまりの美貌に、周囲が俳優を薦めた。演劇を学ぶなど、俳優を積極的に目指したわけではなかったが、スカウトに注目されるなど映画業界と接点が生じた。そして1957年に映画デビュー。59年に出演したコメディ映画がヒットし、まだ駆け出しの俳優だったにもかかわらず、西ドイツの若手スターだったロミー・シュナイダーに見初められて同棲を始める。

次から次へと……

 ロミー・シュナイダーと同棲を続けながら、ドロンは他の女性とも関係を持った。アルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」で知られるモデルのニコとの交際はよく知られており、1962年に長男が生まれたが、アラン・ドロンは入籍も認知もしなかった。

 1963年には映画の撮影でナタリー・バルテルミーと共演して交際。この時はロミー・シュナイダーと別れることを選んだため、フランスの芸能メディアから叩かれたという。64年に結婚し、ナタリー・バルテルミーはナタリー・ドロンとなり、彼女もスターになった。二人は一児をもうけたが、69年に離婚。ナタリーは演技の仕事を続けたかったのだが、ドロンが難色を示したことが原因と言われている。

 ナタリー・ドロンと破局すると、次は女優のミレーユ・ダルクと関係を持った。長い交際となったが、80年代後半にオランダ人モデルとの間に二児をもうけ、後に破局している。

 アラン・ドロンと交際したのは女性だけではない。イタリアの名匠、映画監督のルキノ・ヴィスコンティは映画「若者のすべて」(1960年)、「山猫」(1963年)の2本でドロンを起用。彼にとっての出世作となっただけでなく、映画史に残る傑作として知られている。

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