1万3000人の女性と関係? 88歳「アラン・ドロン」の最後の交際相手は日本人、凄すぎた女性遍歴を映画評論家はどう見ていたか

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 デイリー新潮は7月25日、「アラン・ドロンへの虐待で刑事告訴され自宅にも戻れず…17年間事実婚状態のヒロミさんが日本メディアに初の告白」との記事を配信した。世界的な大スターであるアラン・ドロンは1935年11月生まれ。御年88歳ということもあり、彼の相続問題や“最後の女性”が注目を集めているのだ。

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 昨年の夏までアラン・ドロンは日本人女性のヒロミさんと事実婚状態にあった。ところが彼の子供たちから訴えられ、ドロンと会えない状態になってしまった。渦中のヒロミさんは週刊新潮の取材に応じたのだが、彼女が日本のメディアに語ったのは、週刊新潮が初めてとなる。記事から地元紙記者のコメントを紹介しよう。

《「7月1日にフランス国際放送のTV5MONDEが、ドロンの特集番組『アラン・ドロン 世界を前に』を放送したのです。インタビューが中心の1時間番組で、収録場所はドゥシーの自宅でした」》

《「ドロンがメディアの取材を受けるのは久々でしたが、それ以上にプライベートに関する意外な発言が世間の耳目を引きました。ドロンは初めて“日本人の連れ合い”との表現で、長らく同居する女性の存在を明かした。それこそが、ヒロミでした」》

《「番組ではヒロミがドロンの背中に抱きつく姿など、二人が仲むつまじい関係にあることをうかがわせる写真も紹介されました。一夜明けると、マスコミはヒロミの存在を一斉に報じ始めた。中には“アラン・ドロン、日本人女性に恋している”と、センセーショナルなタイトルの記事を掲載した雑誌もあったほどです」》

アラン・ドロンとプロデューサー

 このヒロミさんが、なぜアラン・ドロンの子供たちから訴訟を起こされたのか、ドロンの財産相続はどのような状況なのか、今のヒロミさんがどのような境遇なのか──こうした問題については、デイリー新潮が配信している記事をお読みいただきたい。本稿で改めて考えたいのは、あまりにも奔放なドロンの“女性遍歴”と、それが彼の人生のどのような影響を与えたのかという問題だ。

 同じ日本人女性による貴重な証言が残っている。映画プロデューサーの吉崎道代さんは1992年、共同製作した映画「ハワーズ・エンド」と「クライング・ゲーム」が米アカデミー賞の15部門にノミネートされ、4部門で受賞という快挙を成し遂げたことで知られる。

 吉崎さんは1942年、大分県に生まれた。高校を卒業後、単身でイタリアの映画学校に留学し、その後の波瀾万丈の半生は自伝『嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録』(キネマ旬報社)に上梓された。そして著書の中ではアラン・ドロンとの“関係”が綴られている。

 夕刊フジの公式サイト・zakzakは2022年10月、「棺桶に入るまで現役、今が一番楽しい アラン・ドロンとの“一夜”を告白 映画プロデューサー・吉崎道代さん『嵐を呼ぶ女』」との記事を配信した。

 吉崎さんはシングルマザーとして子供を育てたのだが、その父親と1日違いでドロンとも関係を持ったと著書で明かしたのだ。

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