【光る君へ】側室の子が誉められるのはダメ… 道長が「わが子」に露骨な差をつけた理由

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正妻の子(頼通)に異母弟が勝った場面

 藤原道長は永延元年(987)、ほぼ同時期に、高貴な血を引く2人の女性と結婚した。1人は左大臣源雅信の長女で、正妻となった倫子。源雅信は宇多天皇の孫だから、道長の正妻は天皇のひ孫だったことになる。もう1人は、失脚した源高明の長女、明子。父の後ろ盾がないので正妻にはなれなかったが、高明は醍醐天皇の子なので、明子は天皇の孫にあたる。

 道長は宮廷社会で勝者になるためにも、妻の血筋に決定的にこだわった。そして2人の妻は、ともに子沢山に恵まれた。倫子は2男4女を、明子は4男2女を産んでいる。...

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