「自宅から着の身着のままで放り出され…」 アラン・ドロンと事実婚だったヒロミさんが受けた凄絶な仕打ち

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「すべてが作り話」

 彼らの主張は告訴状にも登場するが、ヒロミさんは強く反論する。

「役者だからうそがうまいのかと思うほど、彼らの言い分はすべてが作り話。一部に小さな事実はありますが、大げさに私に過失があるかのように話を作り変えるんです。例えば、私がアランに水とバナナだけを渡して長時間放置したとか。私は体が弱っている彼を放置したことは一度もありません。一人で出かけなければならない時は、必ず家政婦や庭師に声をかけていました。彼らに聞けば、子どもたちの主張がうそであることはすぐに分かります」

 実際、ドロンは順調に回復し、20年1月からは車椅子は必要なくなり、つえを片手に邸内や庭を歩き回っていたという。それでも子どもたちは、執拗(しつよう)にドロンとヒロミさんの事実婚の正当性にも疑義を呈し続けた。

「かつて、アランはテレビのインタビューで私を“コンパーニュ(連れ合い)”と表現しました。その理由を、アヌーシュカは“ヒロミが父にそう言うように圧力をかけ続けたせいだ”とメディアで繰り返していました。私たちへの敬意を欠いた、ひどい作り話です。むしろ私は、“告訴状に父もサインした”というのは、アヌーシュカがアランをうまく言いくるめて、アランが何か分からないままサインさせたのが真相ではないかと思っています」

 その後もヒロミさんへの攻撃はやまず、昨年9月にはアントニーが根拠のないままヒロミさんに“窃盗の疑いがある”とメディアに喧伝した。

「ドゥシーのバスルームには戸棚があり、そこで警察がまとまった現金を見つけたという話ですね。アントニーはそれを“ヒロミが父のカードを使って引き出した金だ”と、至るところで吹聴して回ったんです」

 もちろん、すぐに疑いは晴れた。

「あのお金は私が両親から受け継いだ遺産の一部。警察が見つけたのは、私が場所を伝えて確保してもらったから。すでに返していただきましたよ」

家宅捜索

 ドゥシーから追われた3週間後、検察はパリ郊外のヒロミさんの自宅で家宅捜索を行った。その理由を、ヒロミさんの代理人を務めるヤシン・ブズロウ弁護士が解説する。

「ヒロミはドゥシーを追い出された7月、子どもたちからモラル・ハラスメント、信書の窃取、脆弱者(ドロン)への暴力と監禁、脆弱さの濫用、父の愛犬への暴力の疑いで刑事告訴されました。すべて根拠のない訴えなので、彼女は自分の無実を立証するために任意の家宅捜索を受諾したのです」

 その後、ヒロミさんはモンタルジ検察で任意の事情聴取を受けた。

「当然、容疑はすべて否認しました。話したいことを話したら6時間に及んでしまって」(ヒロミさん)

 前編「『食事会に私だけ招待されず…』 アロン・ドロンと事実婚だったヒロミさんが明かす、子どもたちからの非道な仕打ち」では、19年、脳血管障害でドロンが倒れた際の様子や、ヒロミさんとドロンの子どもたちの“すきま風”について報じている。

 さらに後編「アラン・ドロンが『僕はひとりぼっち』と悲痛な叫び 事実婚だったヒロミさんにSOSの電話」では、悪性リンパ腫と闘うドロンがヒロミさんに必死の思いで伝えたSOSの言葉について紹介している。

アラン・ドロン
俳優。1935年、フランス・セーヌ県で映画館を営む父と薬剤師の母との間に生まれる。17歳で海軍に入隊し、第1次インドシナ戦争に従軍。除隊から2年後の1957年に映画「女が事件にからむ時」で銀幕デビュー。24歳の時に主演した「太陽がいっぱい」は、日本でも大ヒットを記録した。

週刊新潮 2024年8月1日号掲載

特集「続・独占告白 『太陽がいっぱい』の日々暗転し…『アラン・ドロン』が『脳卒中』『がん』治療中止で死の淵」より

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