実は誰にも期待されていなかった「モハメド・アリ」 “ほら吹き”と呼ばれた男が「伝説のボクサー」になったワケ(小林信也)

  • ブックマーク

対戦相手宅で「臆病者」

 クレイがリストンへの挑戦権を得たのは、元世界ライトヘビー級王者のアーチー・ムーアやダグ・ジョーンズを破り、19戦19勝(15KO)の実績を重ねた64年2月。それでも勝敗予想は、36戦35勝のリストン7に対してクレイは1に過ぎなかった。

 そんな前評判もまたクレイには耐えられなかった。タイトルマッチ発表記者会見の前夜、深夜にバスを運転しリストンの自宅に押しかけ、大音量のメガホンでリストンを「臆病者」「ろくでなし」となじった。警察が駆け付ける事件となった。この話は事実かと記者に聞かれ、悪びれることなく語っている。

「はい、コロラド州のデンバーでした。庭までバスを運転して、クラクションを鳴らして彼を起こした。彼は下着にローブ姿で出てきた。大きな棒を持って、『出ていけ』と彼は言った。私は、『ぶさいくな大熊、お前をKOしてやる』と答えた」

 記者会見でもクレイはずっと喋り続けた。さらにリストンの練習場に乱入し、怒ったリストンと乱闘寸前の騒ぎも起こした。この時リストンは28連勝、しかも3試合連続1回KOを続けていた。挑戦者をなめていたのは事実だ。記者の質問にこう答えている。

「試合の5日前になったらトレーニングを始めるよ。5日で十分だ」

 リストンもそして関係者たちも、クレイが極端な挑発をするのは死ぬほど怖がっているからだ、自分を鼓舞するためだと考えていた。リストンは「2ラウンド以内に倒す」と宣言し、クレイは「8ラウンドでKOする」と予告した。

 試合当日、喚き続けるクレイの心拍数は毎分120回に達し、血圧も200を超えた。ドクターがこのままでは試合は不可能と診断し、危うく中止になりかけた。1時間後、クレイの数値は平常に戻り、試合は決行された。

止血剤が目に

 1ラウンド。リストンは力強いパンチを繰り出し果敢に攻める。クレイは軽快なフットワークでかわし、隙を見てコンビネーションをヒットさせた。出鼻をくじく左ジャブが有効だった。

 2ラウンド。リストンのパンチが当たり始める。しかしクレイは下がりながらジャブを決め、終盤にはリストンの目の下をカットした。

 クレイのピンチは5ラウンドだった。リストンの止血剤が目に入り、半ば戦意を失った。勝機と見たリストンは攻勢に出る。クレイはさまざまなテクニックを駆使して防御に徹し、ゴングまで逃げ切った。

 6ラウンド、目が回復すると、攻め疲れたリストンを左右のコンビネーションで攻め立てた。顔が腫れ、傷もさらに開いたリストンは7ラウンドのゴングが鳴ってもコーナーの椅子から立ち上がらなかった。この時、ほら吹きクレイは「有言実行の男」となった。そして、ヘビー級ボクシングをアートの領域に導いた瞬間でもあった。数日後、「カシアス・クレイは奴隷の名前だ」として改名を宣言。後にモハメド・アリの名を発表した。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年7月25日号掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。