ミニスカポリス・来栖あつこ 40歳の時、産婦人科の先生からの言葉に「頭を鈍器で殴られたぐらいの衝撃」

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「年齢の壁」を実感

――実際の不妊治療はいかがでしたか。

 難しかったですね。最初から「最速で走れ」と言われて、すぐに体外受精に進んだんですけど、卵の成長が難しかったです。お互いの体に問題はないと言われていましたが、やはり年齢の壁があるんだなと実感しました。これが運命なんだなって受け入れるしかないなと思いました。

――不妊治療はやめるタイミングが難しいと言いますが、どのように決断したのでしょうか。

 最初に通っていたクリニックから、不妊治療で一番有名なクリニックに転院しました。そこでもダメだったら、もう諦めようと思っていたので、諦めることができました。

――旦那さんはどのような感じでしたか。

「そんなに頑張らなくていいんじゃない」というスタンスでした。それが楽で、プレッシャーを感じなくて済みました。「別に子供ができなくても、あっちゃんはあっちゃんだから」と言ってくれる人だったので、「私の好きにやらせてほしい」とお願いしました。

――1年間続けて、治療をやめるとき、気持ちの整理はどうつけたのでしょうか。

 やりきった感はすごくありました。「あの時こうしてればよかった」という後悔が一番嫌いなので、「やってできなかったらしょうがない」と自分の中で整理がつきました。やらずに後悔するのがもったいないと思うので、とりあえず進んでみるという性格なんです。

――今の気持ちはどうですか。

 現在の状況に満足しています。もう5、6年経ちましたが、子どもがいなくてもよいと思うようになりました。今は猫と犬が1匹ずついるので、その子たちが自分たちの家族であり、子どものような存在です。その子たちを大事にするのが、私たちに与えられた宿命なのかなと思っています。

――子どもを見かけた時、何か感じることはありますか。

 特に気になりません。「幸せになってほしいな」と思います。ただ、事情をあまり知らない人から「(子どもを)作らいないの?」「もうちょっと頑張ればいいじゃん」と言われるのが一番、つらいです。でも、自分も今までそういうことを言ってきちゃったかもしれないので、気をつけなきゃいけないなと思いました。タイミングは人それぞれですし、事情を明かしていない方もいますから。

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 第1回では、来栖がアパレル業界に転身した理由や、現在代表を務める「結婚相談所」について語っている。

来栖あつこ
1978年、茨城県生まれ。96年、デビュー。「出動!ミニスカポリス」の5代目リーダーとして活躍。2023年、結婚相談所「W」を設立。

デイリー新潮編集部

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