「50年目のピンク・レディーのステージは」 ケイが語った意外な「最も思い入れのある曲」

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大林宣彦監督の言葉

 映画の仕事は、ピンク・レディー時代にも経験はあった。1978年公開の「ピンク・レディーの活動大写真」にスタッフ、出演者として参加していた大林宜彦監督にこう言われたことがある。

「ケイちゃん、もしもこの先、ピンク・レディーが解散するようなことがあったら、女優をやるといいと思うよ」

 しかし、この時はピンク・レディーの大繁忙期。解散は現実的ではなかった。ところがしばらく経ち、ピンク・レディーが解散したらほんとうに大林監督からオファーが届く。作品は、大林監督の故郷・尾道を舞台にした“新尾道3部作”のうち「ふたり」と「あした」。そのロケのとき、ケイは監督に悩みを打ち明けた。

「監督、私、陰のある暗い役しか来ないんです。どうしてでしょうか?」

 大林作品でも、ケイの役は岸部一徳の不倫相手だった。

「明るい役、やりたいの?」

 監督に聞き返された。

「はい。やりたいです」

 すると、監督は諭すように言った。

「ケイちゃん、明るい役は誰でもできるんだよ。でも暗さはその人の持っている素質だから、できる人とできない人がいる。背中だけで悲しみや愁いを表現できるのは特別な存在なんだよ。暗い役ばかり来るのはね、君が素質を持っているからだと思う。暗い役をやらせたら増田惠子には誰もかなわない域までつきつめたらどうかな」

 その言葉に納得できた。気持ちが楽になった。

「年齢を重ね、キャリアを重ね、歌手としても、歌手のほかでも、私がさまざまな体験をしてきたからこそやれるパフォーマンスがある。今はそう思えています」

ピンク・レディー「50周年ツアー」の可能性

 2年後の2026年、彼女はデビュー50周年を迎える。「ペッパー警部」から50年経った。

「50周年の理想形はミーと2人で歌い踊ることです。若い頃は眠る時間もなく、食べる時間もなく、2人ともヘトヘトの状態で歌っていました。毎日のスケジュールをやり切ることで精一杯。その後の再結成ではミーと、おたがいの身体をいたわり合いながらツアーをまわりました。2003~2005年のツアーは、100か所200公演というハードな日程だったので、『ペース配分を考えようね』と言い合ったものです。

 それなのに、ステージに上ると2人とも最初から最後まで全力でパフォーマンスしてしまって。お客様がとにかく熱くて、キラキラの衣装に着替えて、一緒の振り付けで踊るような方がほとんどでした。2011年のツアーもさらにバージョンアップして、どちらがステージか分からない程! その光景をステージから見られた喜びは忘れられません!

 でも今は、私もさらに年を重ね、人間力も表現力も増しているはず。“あの頃をもう1度”のような懐かしのコンサートではなく、50年前よりもパワフルなステージをお見せしたい。2人とも同じ思いで出来るなら、それが一番美しい50周年のかたちになるとは思っています」

 ***

 デビュー50年を経て、ますます魅力を発揮しているケイ。第1回【「盲腸が破れてもステージに」 ケイの語る「2024年のピンク・レディー」】では、「白米を食べた記憶がない」ほど多忙過ぎたアイドル時代の壮絶エピソードを明かしている。

神舘和典(コウダテ・カズノリ)
ジャーナリスト。1962(昭和37)年東京都生まれ。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『不道徳ロック講座』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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