「50年目のピンク・レディーのステージは」 ケイが語った意外な「最も思い入れのある曲」

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解散後の日常とソロデビュー

 この8月に開催するライヴ「増田惠子&KEI(ピンク・レディー)~I Love Singing!! 2024~」(14日ビルボードライブ大阪、24日ビルボードライブ横浜)では、もちろんソロの曲も歌う予定だ。

「1981年3月31日にピンク・レディーを解散してソロ活動を始めました。2時間睡眠の生活から、急に時間をたっぷりもらえるようになって、しばらくはどう過ごしたらいいかわかりませんでした。ソロ契約した事務所の社長にお願いして、オフィスでデスクを拭いたり、花瓶の水を替えたり。6月くらいからはドラマの仕事をいただいたものの、楽屋に1人でいると淋しくて。それまではいつもミーと一緒で、着替えやメイクなど準備でバタバタしていましたから」

 ソロ1曲目は「すずめ」。作詞・作曲は中島みゆき。この曲はヒットして、増田惠子(当時は増田けい子)の代表曲の一つになった。

「みゆきさんにお願いしたいというのは私の希望でした。ピンク・レディー時代に、スタジオで桜田淳子ちゃんが『しあわせ芝居』を歌っているのを聴いたことがきっかけです。素晴らしかった。淳子ちゃんがうらやましかった。その作詞・作曲が中島みゆきさんでした。それからずっと私も書いていただきたくて、断られる覚悟で頼んだんです。すると、2週間くらいで事務所にカセットテープが届きました。みゆきさんご自身があの声で弾き語りする『すずめ』を聴いたら切なくて、号泣したことを覚えています。この曲のヒットで、ピンク・レディーのケイとは違う雰囲気の私の曲も聴いてもらえるようになりました」

 ソロになってからは、1曲にじっくりと時間をかけて準備して臨めるようになった。

「ソロでは、みゆきさんだけでなく、松任谷由実さん、桑田佳祐さん、竹内まりやさん、宇崎竜童さん・阿木燿子さんご夫妻など、素晴らしい作家のかたがたから作品をいただいています。また、女優の仕事も、音楽にいい影響をもたらしてくれました。俳優業によって、歌詞の奥深さを読み取れるようになったのかもしれません」

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