「50年目のピンク・レディーのステージは」 ケイが語った意外な「最も思い入れのある曲」

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第1回【「盲腸が破れてもステージに」 ケイの語る「2024年のピンク・レディー」】からの続き

 8月にソロ・ライブを控える、ピンク・レディーのケイこと増田惠子(66)。世代を超えて愛される数々の名曲の中で最も思い入れのある曲を尋ねると、意外な答えが返ってきた。【ジャーナリスト/神舘和典】

(全2回の第2回、文中敬称略)

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モータウンを感じさせた「ペッパー警部」

 ピンク・レディーは4年7カ月で22枚のシングルをリリースしたが、ケイにとって特別な曲はあったのか――。

「まずはデビューシングルの『ペッパー警部』とそのB面の『乾杯 お嬢さん』です。あの2曲がなかったらその後の私の人生はどうなったんだろう、と今も思います。デビューが決まって、コーラス入りのカラオケをオープンリールで聴いたときは、自分たちだけの曲をいただいた感謝と、夢がかなったよろこびで号泣してしまいました。それまではヤマハの仕事のイベントなどポプコンの曲しか歌えなかったですから。それに、『ペッパー警部』は私の好きなモータウン・サウンド系。売れなかったら私たちのせい。売れるためならなんでもやる。心に誓いました」

 もう一つ、ケイには今も大切な曲がある。

「『マンデー・モナリザ・クラブ』です」

 デビューから3年が経ち、アメリカ進出と同時期のシングルだ。

年齢相応の曲も歌いたかった

「ピンク・レディーは子どものファンにも恵まれたので、だれでも歌って踊れる曲を次々とリリースしました。でも本心を打ち明けると、年齢相応の曲も歌いたかった。あの頃は歌手として評価していただけることがありませんでしたから。そんな私たちに阿久悠先生と都倉俊一先生がつくってくださったのが『マンデー・モナリザ・クラブ』でした。ソウルフルで、まさに私が歌いたかったタイプのナンバーでした。今でも一番好き。イントロからエンディングまで全部好き」

 リリース時に、阿久悠にねぎらいの言葉をかけられた。

「君たち、よく頑張ったね。ほんとうはこんな曲が歌いたかったんだよね」

 阿久が自分たちの気持ちをわかってくれていたと知り、ケイは感極まった。

「忘れられない曲になりました」

 しかしこの曲は残念なことに、売り上げにつながらなかった。

「テレビの歌謡番組では2週間しか歌わせてもらえませんでした。突然の大人路線で、リスナーが離れていったのかもしれません。もっと歌わせてもらえたら違う結果になったかな。あの頃はスタッフも毎曲ヒットチャート1位にならなくてはいけないミッションを課せられていて大変だったと思います」

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