「盲腸が破れてもステージに」 ケイの語る「2024年のピンク・レディー」

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

盲腸の傷口にガーゼを詰めて舞台へ

「ピンク・レディーとして歌っていたのは私が10代から20代にかけての頃です。幼い頃からの『歌手になる』という夢を叶えられた喜びで、睡眠不足や食事をとれないことなんてへっちゃら。ただ、パフォーマンスの準備に時間をとれないことが一番の悩みでした。年に3回、全国をまわるコンサート・ツアーがあって、毎回セットリストを変えるんです。でも、練習する時間がなく、自分がしっかり覚えられたのか不安で、本番前はいつも心臓がバクバク鳴っていました」

 そんな生活の中で、ケイはついに倒れる。

「腹膜炎で盲腸が破れて、緊急手術をしました」

 ドクターには2週間入院するように言われたが8日で退院。ピンク・レディーとして初めての日本武道館公演がひかえていたのだ。

「手術した傷口は縫わずにガーゼを詰めて、身体をラップでぐるぐる巻きにしてステージに上がりました。1日3回患部に詰めたガーゼの交換はものすごく痛かったけれど、ステージに上ると不思議と感覚がまひして、いつも通り歌って踊れました。あの危機を乗り切ったことで、その後の人生では何に対しても動じなくなりましたね」

 そう語るケイは、明るく、そして若々しい。その若さの最大の秘訣は、幼い頃からの夢を叶え、いまだにその仕事を続けられていることではないか、と本人は言う。

 ***

 第2回【「50年目のピンク・レディーのステージは」 ケイが語った意外な「最も思い入れのある曲」】では、「陰のある暗い役しか来ない」と悩んだこともある俳優業についても語る。悩みを打ち明けられた大林宜彦監督の返答とは?

神舘和典(コウダテ・カズノリ)
ジャーナリスト。1962(昭和37)年東京都生まれ。音楽をはじめ多くの分野で執筆。『不道徳ロック講座』など著書多数。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。