手塚治虫のもとへ乗り込み、山下達郎とツアーを回り…キーボード奏者・難波弘之の“鍵盤人生”
音楽とSFが融合し…
自身のソロデビューアルバム「センス・オブ・ワンダー」では、少年時代から憧れた手塚治虫との“コラボ”も実現させた。
「自分の好きなSFをテーマにしたアルバムを作ろうと思いましてね。今にして思えば、完全な独りよがりのアルバムだったと思いますが、当時、好きなようにやらせてもらった」
その中で、ジャケットを描いてもらいたいと手塚プロに単身乗り込み、多くの編集者が待機する中を手塚治虫の部屋に通され、デモテープを聴いてもらった上で、ファミリーツリーのような絵を描いてもらったという。
「それ以前にも『鉄腕アトムクラブ』などで何度もお会いしたことはありました。描いていただけたことを不思議に思う人はいっぱいいたと思いますが」
こうしてこれまで得てきた縁を、後進に伝える機会も多い。1985年にNHK教育テレビ(当時)の「ベストサウンド」の司会・講師を務め、作曲家の三枝成彰の紹介で1988年、東京音大の講師となり、後には作曲科主任教授となった。
「行き当たりばったりだったので、まさか70歳になってまで音楽をやっているとは。達郎バンドでもベースの伊藤広規と達郎と僕とで、アコースティックのトリオを組むことがあるんですが、ちょっと前には還暦トリオなんてふざけて言っていたのが、もう古希トリオになっちゃったんですから、すごいですよね」
と、苦笑しつつも「知り合いが知り合いを呼んで、いろんな人と仕事ができた。これからもできる限り続けていきたい」という決意にはわずかの揺らぎもない。