手塚治虫のもとへ乗り込み、山下達郎とツアーを回り…キーボード奏者・難波弘之の“鍵盤人生”

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ライブ会場で公開炎上劇も…熱かった聴衆

 1978年末に発売された山下のアルバム「GO AHEAD!」にドラムの上原裕、ギターの椎名和夫、ベースの田中章弘とともに「達郎バンド」として参加。翌年から1982年まで、山下のツアーに参加した。

「参加し始めた頃、杉並公会堂でのライブがあったんですが、達郎のMCタイムに客席の女の子がすっくと立ちあがって言ったんです。『最近の達郎さんの音楽は、私はあまり好きではありません!』と。達郎も『あんたね…』と応酬し、他の客そっちのけで舌戦を始めて。最後には女の子が『わかりました。失礼しました』と座ったんですが」と苦笑しながら述懐する。

「今の良くも悪くもアーティストに優しい予定調和の客に比べ、あの頃はライブ会場も熱く、緊迫感があったものです。言うなれば、今でいうネット上の炎上をライブ会場において、公開でやっているような感じでしたよ」

 十年間は自分のソロ活動に専念した後、山下のツアーには1991年から復帰、難波は山下のツアーに欠かさざるべきプレーヤーとなっている。

フラヴィオ・プレーモリのこぶしにそっくり

 バックスバニー時代、セカンドアルバムを作る際に縁ができた、ギタリストでキーボーディストの成毛滋に、こんな言葉を投げかけられたことがある。

「君、PFM、好きでしょ」

 PFM。プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ。1970年から活動するイタリアのプログレッシブバンドだ。そのキーボーディストがフラヴィオ・プレーモリ。難波自身が「日本なら大野克夫さん、ミッキー吉野さん、海外ならキース・エマーソンやビリー・プレストン」と列挙する憧れのキーボーディストと同列で名を上げる一人だ。

 成毛の言葉に「どうしてわかったんですか」と驚いたが、成毛からは「シンセのこぶしがプレーモリのこぶしにソックリだもん。それは地中海のこぶしだよ」と賞賛されたという。

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