新宿ゴールデン街の歌姫「渚ようこ」の生き方 死の前日、彼女からあった電話が忘れられない

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過去を振り返らない

 私が渚から最後に電話で連絡を受けたのは、亡くなる前日の2018年9月27日の昼ごろだった。新宿・四谷で11月30日に開く、毎年恒例のリサイタルの案内だった。

「ごめんね。今年も告知記事、書いてよ」

 彼女は苦笑しながら語っていたが、どこか元気がない様子だった。いつもなら雑談もするのだが、この日に限っては取材依頼のみで電話は終わった。

 思い起こすに、過去を振り返ることを嫌った。自らの経歴を明らかにすることもほとんどなかった。誕生日を知っている人もいなかっただろう。「山形県から上京した」ということしか知らなかったが、山形県のどこなのか、その場所すらも彼女は口にしなかった。

 ただ分かっているのは、上京後の1994年、渋谷にあったDJバーのイベントに登場したことである。CDデビューは96年。クレイジーケンバンドの横山剣(64)や作詞家の阿久悠と組んで、昭和の気分がたっぷり染み込んだ独自の歌謡世界を再現した。そして2008年、同年に閉館となった新宿コマ劇場で「新宿ゲバゲバリサイタル」を開き、大きな話題を呼んだ。

「新宿には猥雑で雑多なエネルギーがあふれている。この街が私の原動力」

 と、新宿にこだわった。たしかに、この街の酒場には人生の重みや苦みが浮遊物質となって壁やカウンターにしみついている。深い陰影をたたえた壁面には、グラスを傾けた者たちの記憶がへばりついている。

 だが、渚が旅立って以来、私はゴールデン街で飲むことがめっきり減った。思い出があまりにも強烈だったからだろうか。もちろん、がんに冒されてしまった私自身の体調の問題もある。

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