新宿ゴールデン街の歌姫「渚ようこ」の生き方 死の前日、彼女からあった電話が忘れられない
朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今回取り上げる歌手の渚ようこさん(?~2018)は、東京・新宿・ゴールデン街でバーを開いており、多くの客が訪れていました。小泉さんもその一人。私生活は謎に包まれていましたが、彼女と接点があった小泉さんは意外なエピソードを本人から聞いています。伝説となって語り継がれる有名人たちが抱えた心の葛藤とは何でしょうか。
「歌姫なんて恥ずかしい」
いまでも電話がかかってくるような気がする。
取り留めのない話だったり、近況報告だったり、リサイタルの告知だったりと、その都度、内容は違ったが、電話口の向こうで、本当は何か言いたかったのではないか……。
本心を告げずに旅立ってしまったのか。2018年9月28日、心不全のため亡くなった歌手・渚ようこ(年齢非公表)である。昭和歌謡を愛し、新宿のゴールデン街に10席ほどの小さなバー「汀」を開いており、私も客のひとりだった。
04年、敬愛する作詞家・阿久悠(1937~2007)の作品を集めたミニアルバム「渚ようこ meets 阿久悠 ふるえて眠る子守歌」を発表。06年公開の映画「ヨコハマメリー」の主題歌「伊勢佐木町ブルース」も担当した。08年公開の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」では劇中歌も歌った。「ゴールデン街の歌姫」とファンは呼んでいたが、本人は「歌姫なんて恥ずかしい」と照れていた。
そういえば、彼女が店でものすごく疲れているのを見たことがある。「横浜の綱島にね、綱島温泉という黒湯温泉があるんだよ。一日中、ゆっくりできるから、一度行ったらいいよ」と勧めたら、休日に東急東横線に乗って綱島まで行き、温泉に浸かったという。
「小泉さん、ありがとう。とても良かった」
後日、ゴールデン街の店を訪ねると、元気な渚がカウンターに立っていた。あんなに無邪気に喜んでいた渚の顔を見たことがなかった。クールなように見えて天然な面もあった。
振り返ると、渚のことを知ったのは、06年6月1日の朝日新聞夕刊文化面を読んだことがきっかけだった。渚の音楽的資質を「西欧風と東京的土着が調和」という見出しで識者が評していた。つまり、こうである。
《西欧カルチャーと東京的土着性がほどよく調和したところに成立した60年代歌謡のエッセンスを、これほど巧みに取り込んだ歌手は見あたらない。歌の向こう側には、“モダン”という言葉がまだ生きていた時代の東京が透けて見えてくる。が、それをたんなる懐古趣味に終わらせず、歌謡曲の未来さえ予感させるところが渚ようこの普遍性である》
たしかに渚の舞台を見ると、昭和歌謡の可能性を十分感じさせた。何かが憑依したような歌いぶり。グサリと突き刺すような歌声。行間からあふれる負の叫び。
クールに構えながらも情熱にあふれていた。商業主義に汚染された芸能界にはなじめず、違和感を覚えていたに違いない。
かつて昭和の文化をテーマにした大学での講義で渚の歌を流したところ、会場がシーンと静まりかえったのを覚えている。渚ようこという名前は知らなくても、その歌が持つ力というものを若い学生は素直に受け止めてくれたようだった。
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