「来栖あつこ」の名前が“ひらがな”だったワケ さとう珠緒から受け継いだ「戦隊モノ→グラビア」の流れ
ハワイ、グアム、サイパン、セブ…
――戦隊モノ出演後の活動は、どうなりましたか。
その後、1年くらいグラビアをやっていました。前年の戦隊モノ(超力戦隊オーレンジャー)の“ピンク”が(初代ミニスカポリスの)さとう珠緒さんで、珠緒さんはその後、グラビアをやっていたんです。ですから、当時は“戦隊モノ→グラビア”の流れがあったんです。
――グラビアはいかがでしたか。
セクシー系のメンズ雑誌の表紙から始めました。セーラー服を着たりして、楽しかったですね。コンビニに自分の表紙の雑誌が飾られるっていうのも、すごく嬉しかったです。その雑誌の他のページは結構過激でしたが、自分のページは違っていて、さわやかだったと思います。
――グラビアではいい思い出しかないですか。
はい、いい思い出しかないです。当時は、今の人たちと比べると申し訳ないですが、海外にしょっちゅう行っていました。ハワイ、グアム、サイパン、セブ……。予備日もあったので、楽しいお買い物の時間の記憶も多いです。
――一番、うれしかったグラビアは。
週刊プレイボーイですね。自分のページだけで8ページも載せてもらった時には、これでオッケーだな、グラビアはもう大丈夫だな、という感じになりました。その後、テレビ東京系「出動!ミニスカポリス」に出演しました。
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第3回では、ミニスカポリス時代の仰天エピソードなどを詳しく語っている。
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