「シャンソンの女王」越路吹雪さん100年ぶりパリ五輪の年に迎える“生誕100周年” 衣装展にCD発売、舞台まで“記念イベント”がめじろ押し

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 目前に迫った夏季五輪。フランス・パリでの開催は、実に100年ぶりとなる。奇しくも今年は、昭和期に「シャンソンの女王」と親しまれた越路吹雪さん(故人)の生誕100周年に当たり、“フランス語の歌曲”の総称であるシャンソンに注目が集まっている。

公演チケットは2日で完売の人気ぶり

「生誕100周年を迎え、それを記念したイベントがめじろ押しなんですよ」

 と言うのは芸能デスク。

「早稲田大学の演劇博物館が、8月4日まで『越路吹雪衣装展』を開催しています。越路さんは昭和28年に初めてパリを訪問した際、先進的な現地のファッションに魅了され、以来、リサイタルでイヴ・サンローランやニナ・リッチなどのフランスを代表する高級ブランドのオートクチュールのドレスを身に着けて舞台に上がりました。実際に着用したステージ衣装や靴、アクセサリー、香水瓶などが展示されています」

 当時は観客の女性たちが競うように着飾って足を運び、会場は他に類を見ない華やかさだったという。

 1カ月前には、生誕100周年を記念するCDも発売されていた。

「8枚組のボックス『越路吹雪リサイタル1965~1969』です。越路さんは昭和40年から亡くなった55年まで、足かけ16年にわたって東京・日生劇場でリサイタルを行いました。インターネットがない時代にもかかわらず、1カ月にわたる公演のチケットは2日ほどで完売する人気ぶりだったと伝わっています」

 それらリサイタルの多くは、すでにLPレコード化されているものの、

「今回は高音質なCDでの復刻になりました。収録曲数は120以上に及び、ボーナストラックには、NHK紅白歌合戦で歌った楽曲も。今月24日には、彼女の若い頃の音源にこだわった『アーリーソング・コレクション』も発売されました」

舞台の世界からのリスペクトも

 越路さんは大正13年、東京・麹町で生まれた。父親の転勤によって新潟で過ごした時期があり、芸名は地名にちなんでつけられたという。宝塚歌劇団で男役のトップスターとして活躍した後、歌手はもとより、女優として映画や舞台で活躍したのは周知の通りだ。

「シャンソン歌手としては、マネージャーも兼ねた作詞家・翻訳家の岩谷時子(故人)とのコンビが大当たり。『愛の讃歌』をはじめ『ラストダンスは私に』『サン・トワ・マミー』などを訳し、大ヒットさせました」

 越路さんのNHK紅白歌合戦への初出場は、番組がまだラジオ放送だった昭和27年。交通事故で出場を断念した松島詩子(故人)の代役として声がかかり、この時はジャズの名曲「ビギン・ザ・ビギン」を披露している。以降、彼女は昭和31年から45年に出演を辞退するまで、実に15回の出場を果たした。

 歌舞伎座関係者が言う。

「日本の芸能史に名を残した越路さんには、舞台の世界からのリスペクトもあります。7月25日には、東京・歌舞伎座で坂東玉三郎と春風亭小朝による『越路吹雪物語』を上演。歌舞伎座特別公演との位置付けで、小朝が十数年前に作った同名の新作落語を語り、その合間に玉三郎が越路さんの代表曲『愛の讃歌』などのシャンソンを歌うという趣向。1回きりの公演とあって、チケットは発売からわずか2分で完売しました」

 極度の上がり症だった越路さんは、舞台に出る際は必ずマネージャーの岩谷から背中に指で「虎」と書いてもらい、「あなたは虎、怖いものはない」と励まされていた。

 そんなかわいらしいエピソードも、死から40年余りを経てなお愛される理由だろう。

週刊新潮 2024年7月25日号掲載

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