【追悼】“民放テレビ初のフリーアナ”押阪忍さんが「フリーでも生き残れた」理由とは

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フリーでも生き残れたワケ

 70年、日本テレビ「特ダネ登場!?」の司会に。特技の持ち主や珍しい名前の人をクイズ形式で紹介する番組だ。素人の緊張を解きほぐしながら話を引き出す力は、後の「ベルトクイズQ&Q」、マーガリンの「ラーマ」を街頭で女性に試食してもらい押阪さんが感想を聞くCM「ラーマ奥様インタビュー」でも発揮された。

「迎合することなく、聞くべきことをちゃんと聞いていた。だからこそ、フリーでも生き残った」(石川さん)

 自身が設立した放送プロダクションで後進の指導にもあたる。「質問以上の答えは返ってこない」と考え、インタビューをする際には十分な下調べや誠意がこもったあいさつ・礼儀など、話す技術以上に会話そのものを重んじた。一方、家庭では説教臭い面もあり、子供のしつけは厳しかったという。

何十年たっても心に残るアナウンサー

 ベルトクイズ司会者の印象は強く、アニメ「ちびまる子ちゃん」で話題に取り上げられた回には本人役の声で出演、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」(2017年)でも、クイズ番組司会者役で話題を呼んだ。

「鈴木健二さんもそうでしたが、担当した人気番組が終わって何十年たっても心に残る数少ない人でした。アナウンサーの仕事は怖いもので、言葉だけでなく人柄も伝わる。慕われ信用された証しです」(下重さん)

 テレビの生放送コマーシャルなどで活躍していた栗原アヤ子さんと63年に結婚。2男を授かる。

 DJ OSSHYの名で活動する長男の雅彦さんと、次男の智彦さんがプロダクションの経営を支え、昨年まで全国放送のラジオ番組「ワンポイント・フィットネス」に出演。現役最高齢のアナウンサーだった。

 6月29日、老衰のため89歳で逝去。

 分かりやすく、聞きやすくの基本を生涯貫いた。

週刊新潮 2024年7月25日号掲載

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