【追悼】“民放テレビ初のフリーアナ”押阪忍さんが「フリーでも生き残れた」理由とは

エンタメ

  • ブックマーク

 フリーアナウンサーの押阪忍さんは、お昼の顔だった。平日の12時台に放送されていたTBSのクイズ番組「ベルトクイズQ&Q」の司会を1972年から務め、人気を博していたのだ。

 視聴者参加の同番組は、赤白それぞれの出場者がクイズに臨み、ミリオンステージに進出すると最高で100万円の賞金に挑戦できる。月に5万通以上の応募があり予選も行われた。

 芸能レポーターの石川敏男さんは言う。

「素人の解答者を相手に押阪さんの名司会があっての番組でした。...

つづきを読む