屈辱のセレモニーから17年…かつて伊東勤氏がファンに「西武復帰は、絶対にない」と断言したワケ
「絶対にないです」から11年。
埼玉西武ライオンズは歴史的低迷の真っただ中にある。松井稼頭央監督(48)が5月26日に休養し、渡辺久信GM(58)が監督代行に就任した後も、成績は一向に振るわず。前半戦終了時点(22日現在)で、27勝59敗1分の6位。首位・ソフトバンクとの差は、じつに29ゲームもある。
【写真】伊東監督時代とは大きく様変わりした西武のホームグラウンド・ベルーナドームの全貌
ペナントはもちろん、CS進出も絶望的となったいま、「後半戦は若手を中心に、来季を見据えたゲームを」と多くのライオンズファンが思う一方で、気になるのはやはり新しい指揮官だ。
ネット上にも「生え抜きである必要はない」、「とにかく勝てる指揮官を」「厳しい方針の監督でもいいのでは」などと、それぞれの思いが書き込まれている。また、「前監督の辻発彦氏(65)が再登板?」という報道もある。そんな中にあって、「デイリー新潮」でも5月31日に伝えている通り、関係者の間では西武OBで元ロッテ監督の伊東勤氏(61)が次期監督として有力視されているという。
「言うまでもなく、プロ野球は勝負の世界。勝つ野球、選手が育っていく姿を見せないといけません。それを実現してくれる監督は誰なのかということ。刺激を与えるために外部招へいという声もありますが、それまでの球団のやり方・方針を全否定される可能性があることから、やはり球団OBから選ぶ方が無難です。工藤公康氏(61)、秋山幸二氏(62)の両OBと共に、伊東氏の名前が球団スタッフや関係者から聞かれるのは事実で、強い西武を取り戻すために、黄金時代の司令塔(捕手)だった伊東氏の監督復帰を望む声が強まっています」(スポーツ紙記者)
伊東氏は現役引退後の2004年~07年まで西武監督を務め、04年にリーグ優勝、日本一を成し遂げている“実績”もあるが、監督退任後、西武との関係がよくないことはファンにも知られていた。例えば――。
2013年10月14日。パ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)、ファーストステージ西武×ロッテの第3戦が行われ、ロッテが2勝目を挙げ、ファイナルステージ進出を決めた。ロッテ監督は就任1年目の伊東氏。対する西武は、伊東氏の後を受けて監督に就任した渡辺氏だった。試合後、伊東氏は記者団にこう語った。
「始まる前に言ったけど、今日で黒い血に変わりました」
現役で22年、指揮官として4年を西武で過ごした伊東氏。シリーズに入る前、西武のチームカラーである「青い血が(ロッテの)黒い血に変わるかどうか」と、その決意を語っていた。「今日で黒い血に変わった」とは、西武との決別を宣言したようなものだった。
帰りの駐車場で西武ファンの男性からサインを求められ、「いつか西武に帰ってきてください」と声をかけられると、伊東氏はこう返したという。
「残念ながら、絶対ないです。それだけは言っておきます」
あれから11年が経つ。「残念ながら、絶対ないです」とファンに断言した背景には何があったのか。
日本一監督になったのに…
「球団を身売りすることになるかもしれない。ただ、選手らユニフォーム組の保証はするから」
2004年、監督就任1年目でリーグ優勝。そして12年ぶりの日本一となった伊東氏だが、日本シリーズ最終戦(10月25日)の1週間後にかかってきた堤義明元オーナーからの電話に、こう思ったという。
《日本一の余韻など一瞬で吹っ飛びました。プロ入り後一筋にプレーし、監督まで務めさせていただき、選手時代と合わせて頂点に立つことができた、愛着のあるライオンズが……、しばらく言葉も出ませんでした》(『伊東勤 勝負師-名捕手に宿る常勝のDNA』ベースボール・マガジン社より)
近鉄とオリックスの球団合併、選手会によるストライキの決行、50年ぶりの新規球団となる東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生、そしてダイエーホークスの身売り…激動に包まれた04年のプロ野球界で、11月になって明るみに出たのが「西武がライオンズ球団の売却を検討中」というニュースだった。結果的に身売りされることはなかったものの、堤氏はオーナーを辞任した。前掲書によると、伊東氏は就任時、堤氏から「10年は監督をやってもらう」と言われていたという。
「その後、05年は3位、06年は2位とAクラスを維持していましたが、松坂大輔(43)がレッドソックスへ移籍した07年は、スカウトがアマチュア選手に現金を渡していた裏金問題が発覚しました。伊東さんは、フロント批判を公然と行いましたが、この頃からフロントとの関係がギクシャクし始め、シーズンは5位。25年間守り続けたAクラスからの転落の責任を取り、その年で辞任したのです。ただ、表向きは自ら辞任したことになっていますが、フロントは渡辺久信2軍監督(当時)を軸に新体制構築に向けて動いており、実態は解任同然でした」(ベテラン記者)
前に紹介した13年のCSにおける西武に勝った場面で、当時のサンケイスポーツは伊東氏の西武監督辞任の裏側をこう報じている。
《3年連続Aクラス入りしたものの、07年に25年ぶりのBクラス(5位)になり解任された。同年10月5日、監督として最後のソフトバンク戦では球団からねぎらいの言葉もなく慰労の花束も用意されていなかった。あまりの悔しさに自ら花を買い、当時のソフトバンク・王監督に頼み込んで渡してもらうセレモニーを“自演”した。あの屈辱シーンは今も脳裏に焼き付いている》(2013年10月15日付)
本人が「西武に帰ることは絶対にない」と言い切った理由には、こうした背景があったのである。
[1/2ページ]