「貧乏な患者からはお金を受け取らなかった」「信号無視を命じられて捕まることも」 徳洲会病院・徳田虎雄の功と罪【追悼】

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一家を破滅に追い込んだ“金権体質”

 結果、90年に初当選。その後、ミニ政党「自由連合」を立ち上げて4期を重ねるも、2002年にALSに罹患してしまう。05年政界引退。次男・毅(たけし)氏(53)に地盤を譲った。

「志半ばだったのでしょう。毅氏を総理大臣にすることが理事長の悲願となりました」

 だがしかし、「保徳戦争」で培った“金権体質”が徳田氏と一家を破滅に追い込む。徳洲会が衆院選で毅氏の陣営に給与・日当を負担する形で職員を多数派遣していた、「徳洲会事件」が露呈したのである。

「13年9月、東京地検特捜部は徳洲会の強制捜査に踏み切りました。特捜部は秀子夫人や長女、次女ら徳洲会の幹部計10名を公職選挙法違反で起訴(その後、全員に有罪判決)。徳田氏自身は体調を考慮されて起訴猶予となりましたが、徳田氏を含めたファミリーは徳洲会の経営から退くことに。毅氏も訴追こそ免れたものの、議員辞職に追い込まれたのです」(社会部デスク)

 先の能宗氏が言う。

「徳之島には徳田家の墓がある。お母さんも土葬で埋葬されており、理事長は生前、その隣に自分が入る場所を確保していました」

 影に覆われた晩節だったが、光あふれる南国の故郷の土に還るというのである。

週刊新潮 2024年7月25日号掲載

ワイド特集「光と影」より

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