戦後最悪「19人殺害」相模原殺傷事件犯人の「障害者ヘイト」を育てた家庭環境
措置入院で大麻
衆議院議長の公邸を訪問した4日後の2月19日、彼は「やまゆり園」を退職する。植松は、自分のツイッターにその日こう書いている。
〈会社は自主退職、このまま逮捕されるかも…〉
表向きは自己都合だったが、直接的な原因は、警察に手渡したあの異様な手紙だったに違いない。これがキッカケとなって、2月19日、病院の精神科に強制的に措置入院させられたからだ。
「入院期間中に検査を受けた植松の尿から大麻の陽性反応が出たのです。本人も吸引を認めましたが、大麻は所持していないと逮捕できない。結局、植松はここでカウンセリングを受け、3月2日に“危険はなくなった”と判断されて退院するのです」(社会部記者)
それから4カ月あまりの間、表向き植松の言動に危険な兆候は見られない。ツイッターにも餃子を手作りした話や友人と遊びに行った話題が続いている。
だが、その裏では古巣を襲うために周到な準備をしていたという。
1年ほど前から植松が通っていた美容院の店長は、
「3月上旬に店に来た時は、“最重度の障害者は安楽死させたほうがいいと思いませんか? 俺ね、神からお告げを受けたんで、革命を起こそうと思うんです”と捲し立てていました」
職員を縛るための結束バンド、そしてナイフや包丁の数々――。
ツイッターでは事件の3日前、友人とモデルガンに興じる写真を載せ、
〈同時刻にドイツで銃乱射。玩具なら楽しいのに〉
とつづっている。これが引き金となったのか、26日の午前2時すぎ、寝静まった「やまゆり園」の東棟1階にガシャーン!という音が響いた。
植松は窓をハンマーで破ると3本のナイフを手に持ち、当直の職員を縛り上げて居室の鍵を奪った。
そして、一部屋また一部屋と開けては寝ている障害者を襲っていったのだ。
犯行時間とほぼ同じ時刻、植松はツイッターにスーツにネクタイ姿の写真を載せ、こう書いている。
〈世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!〉
自らが手を染めた凄惨な儀式を“祝う”ためだったのだろうか。
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20年、植松被告の死刑判決が確定した。弁護側は控訴したものの本人が取り下げたのだ。いまだ執行はされておらず、本人は月刊誌「創」に自らの主張やイラストなどを送り、それらは同誌を通じて世に発信されている。