戦後最悪「19人殺害」相模原殺傷事件犯人の「障害者ヘイト」を育てた家庭環境

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 8年前の2016年7月26日、相模原市で起きた障害者福祉施設の殺傷事件は、19人死亡、26人が重軽傷を負うという前代未聞の凶行となった。わずか1時間ほどで、次々に人を“処理”していった犯人を突き動かしたものは何だったのか。そこにあるのは、障害者を人間として認めない「ヘイトクライム」の深い闇である。(「週刊新潮」 2016年8月4日号掲載記事をもとに再構成しました)

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 ここに一通のぞっとする手紙がある。

 16年2月、大島理森衆議院議長の住む議長公邸に姿を現した若い男が、警備の警察官に手渡した3枚の手紙だ。

 1枚目には、

〈この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。私は障害者総勢470名を抹殺することができます。常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。(中略)障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。(中略)

障害者は不幸を作ることしかできません。(中略)今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。(中略)何卒よろしくお願い致します。(中略)文責 植松聖〉

 2枚目は得体の知れない自己紹介で、3枚目はあたかも犯行予告だった。

〈作戦内容 職員の少ない夜勤に決行致します。重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。見守り職員は結束バンドで見(ママ)動き、外部との連絡をとれなくします。(中略)2つの園260名を抹殺した後は自首します。(後略)〉

 当然、所轄の麹町警察署はこの内容に驚き、植松の自宅を管轄する神奈川県警津久井警察署に事案を通知し、手紙をファクスで送付した。16年2月15日の話である。

 この若い男、植松聖(26=当時)が黒のシビックで津久井署に現れたのは、5カ月以上が経過した7月26日未明、午前3時過ぎのことだった。彼の着衣や手元は血に染まっていた。

「奴をやりました」

 こう告げる植松にただならぬ雰囲気を感じた警察官は、即座に彼の車を調査。後部座席には、血痕のような茶色に変色した複数の結束バンドがバラバラと落ちていた。助手席には血液が付着したポリ袋。バッグには、血糊がついたナイフと包丁が3本、入っていた。植松は、「やまゆり園の障害者を抹殺した。障害者がいなくなればいい、と思った。このナイフで刺したことに間違いない」と供述したのである。

 すでに障害者福祉施設「津久井やまゆり園」職員からの通報があり、別の警察官たちが施設に急行していた。現場に臨場した捜査員は目を背けたくなるような光景に慄然としたという。

 植松の供述通り、施設の複数の室内や廊下には、首から血を流して倒れている人間が数十人。刺創が頸動脈に達している被害者もいて、辺り一面、血の海と化していたのだ。

「やまゆり園」に続く通りは40~50台の救急車で埋め尽くされ、地鳴りのようにサイレンが響く中、次々と被害者を搬送していった。神奈川以外の他県からも多数の救急車が駆りだされたが、それでも車両が不足し、息のある重傷者が優先されたためか、施設内には明け方まで遺体が多数残されていたという。

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