【袴田事件】「妄想の世界から抜け出せていないようだ」「夜中に1時間も風呂に入る」事件発生から50年目、姉が明かした巌さんの近況

  • ブックマーク

復活したニコニコ

「巖が出てきた時、50年の苦労なんてすっとんじゃってねえ。喜んで喜んで。その前は恐ろしい顔して、集会でもすっと帰ってくる。巖が出てから、やたらにニコニコしてねえ。もともとニコニコする性分で、復帰しました」

「この頃はね、猫ちゃんを飼ってるんです。2匹。保護猫です。(私は)巌とはほとんど話さないけど、『ボタンが取れて困った』と言うからつけてあげたり。私が作ったものも食べるんですが、この頃は毎晩ウナギを食べております。それで『髪が黒くなった』『ウナギ食べてりゃ死にやせん』と言うんです。自分の思うようにさせてやりたい。夜中に1時間も風呂に入ってるので、心配して覗いてみると頭から足の先まで洗っている」

「巌は最近、早く起きて自分の部屋に籠っている。座り込んで考えごとをしてるんです。まだ妄想の世界から抜け出せないみたいです」

「どこの集会でも『巖は無罪だから頑張れた』と言ってるんです。48年、3畳の狭い部屋で運動もできない、何もできないという、苦しい戦いをしていたのは巖なんです。死んじゃったほうがいいと思った時もあったのではないかと思うこの頃、どういう風に拘置所の中で生活していたのかを見て(想像して)おりますの。長年の習慣と言いますか、鼻紙を今もきちっと折っております。10年前と変わりございません(巖さんは出かける時、必ずチリ紙を一枚ずつ丁寧に折ってポケットにしまう)」

「夜中に私を起こすんです。『猫が腹をすかせて困ってるから、餌をあげてくれ』って言うんですよ。揚げ物なんかを『猫の餌だ』と言って毎日買って来るんです。困ってお店と交渉して返品させてもらってます。『それ買っちゃダメ』って言えないんですよ。言っても聞かない」

「裁判のことは判決後に初めて話す」

 そして再審の判決は、いよいよ9月26日である。

「判決が出たら巖にしっかり説明したいと思っております。今まで全然説明していません。『留守番、頼むね』と言うと『ああわかった』。裁判だろうなとは薄々感じていると思うのですがね。2014年の3月27日に釈放された時に、もう勝ったと思っております。でも弁護士さんの先生方は、大変でございます。いちいち(検察に)反論したり、書類を作ったり。9月26日には大いに期待して待っております。皆様、本当に長い間、お世話になりました。それこそ皆様の後押しがあってこそでございます。ありがとうございました」

 大拍手だった。ひで子さんが15分近くも話すのは珍しい。

 事件が起きた日は、橋本専務一家の命日でもある。集会後は「市民の会」の山崎事務局長の案内で、同会の石川善朗さん(82)と欠かさす再審傍聴に駆け付けていた中川真緒さん(23)とともに清水区内の墓地を訪れた。

 中川さんはこの日、午前中も供花に訪れていた。このあたりは橋本姓が多く、墓地には「橋本家の墓」が多くある。橋本専務一家の墓石には、巖さんが釈放される直前に亡くなった長女・昌子さんの名も新たに刻まれていた。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に『サハリンに残されて』(三一書房)、『警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件』(ワック)、『検察に、殺される』(ベスト新書)、『ルポ 原発難民』(潮出版社)、『アスベスト禍』(集英社新書)など。

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。