【袴田事件】「妄想の世界から抜け出せていないようだ」「夜中に1時間も風呂に入る」事件発生から50年目、姉が明かした巌さんの近況
なぜ鑑定結果を待たなかったのか
「共布が5点の衣類のズボンと一致した」という鑑定結果はこの年の12月に出た。
警察がどこかで入手したズボンを切って、本体を味噌タンクに放り込み、共布を巖さんの実家に再度の家宅捜索と称して持ち込み、そこで発見したように装った捏造の可能性を考えれば一致して当然だ。本連載でも指摘したように、「警察がそんな大それた捏造などするはずがない」としか考えず、「一致しない」と主張したのも、当初の弁護団の大失敗だった。
一方で吉村検事は、「5点の衣類」のズボンが袴田巖さんの所有物か否かの鑑定結果を待たずに冒頭陳述を変更した。検察としては、もし一致しなければ元も子もない。本来は5点の衣類の発見を極秘にし、鑑定結果を待ってから「犯行着衣の変更」を判断すればよかった。理由をつけて公判を少し延期させることくらいはできる。
慎重な検察官が“鑑定結果を待たない”という危険な賭けをするのだろうか。吉村氏が警察の捏造を知っていたからこそ、鑑定結果を待たずにさっさと変更できたとも考えられる。
こうした経緯もあって再審審理を終えた後の7月12日、袴田さんを支援する3団体「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」「日本国民救援会静岡県本部」「袴田さん支援クラブ」は、静岡地検に対し要望書を提出した。その内容は(1)袴田巖さんへの死刑論告の取り下げ (2)証拠捏造をした静岡県警への捜査 (3)吉村英三氏の取り調べである。さらに静岡地裁に対しては、捜査関係者による証拠捏造の認定や、再審での傍聴人に対する執拗な検査の緩和、傍聴席の拡大などを求めた。
「袴田巖さんを救援する清水・静岡市民の会」の山崎俊樹事務局長(70)は、「(現在の)弁護団に対して吉村氏の証人尋問をしてほしいと訴えましたが、検察が抵抗してくるので時間ばかりかかってしまうと言われた」と明かす。弁護団の小川秀世事務局長(71)はかつて、横浜市にある吉村氏の自宅を訪ねたが、けんもほろろに追い返されたという。
支援集会でひで子さんがスピーチ
事件からちょうど58年目の6月30日、「市民の会」による年2回の支援集会がJR清水駅近くの「清水テルサ」で開かれた。巖さんの姿はなかったが、姉のひで子さんが挨拶に立った。
「まあ、58年前は大変でした。巌が取っ捕まって、わたくしの狭い6畳ひと部屋の粗末なアパートにも朝7時ごろかなあ、警察官が4人くらい来ましてね。捜索令状って見せるでしょ。それに『袴田巖、強盗殺人犯』って書いてある。それを見て『これ何だろうなあ』と思って家宅捜索を受けました。押し入れと箪笥、食器棚、冷蔵庫くらいでしたが(警察は)ひっかき回していました。巌が少し前にお味噌を持ってきたんです。こがね味噌の。それを3つか4つ、お勝手(台所)に置いていた。(警察は)持って行くものがないから、それを持って行った」
「私は浜松中央警察署に連れて行かれました。さっぱりわからないから怖いとも何とも思いません。私を取り調べ室の一番奥に入れて出られないように刑事が入り口に立った。(刑事の)質問はもうすっかり忘れておりますの。お昼になりまして、カツ丼取ってくれたんです。私はそれをガツガツ食べちゃったんですよ(笑)。朝ごはんも食べてなかったんで。後から考えれば、食べなきゃよかったとも思ったんですが」
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