自然に囲まれた幸せな生活から、突如どん底に… アラン・ドロンと事実婚状態だったヒロミさんが明かす、「家族との不和」の裏側

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発作を起こし入院することに

 ヒロミさんと子どもたちの関係が悪化したきっかけは、ドロンの健康問題にあるとされる。19年6月14日、アラン・ドロンは脳卒中で倒れた。すぐさま大手紙「ル・パリジャン」がスクープ記事〈アラン・ドロンが短期入院〉を配信し、その事実は世界が知るところとなった。

 当時をヒロミさんが回想する。

「倒れる3日前、アランは朝から具合が悪い様子でした。“目めまいがする”と言いながらも、普段通り仕事に出かけて行きました。パリに着いてからも体調はすぐれなかったようで、14日の朝、パリ西方の郊外にある総合病院のパリ・アメリカン・ホスピタルを受診しました。そこでアランは脳血管障害の発作を起こしたんです。幸い病院の中だったので、そのまま入院することになりました」

 この日は金曜日。ドゥシーでドロンの帰りを待っていたヒロミさんのもとに知らせが届いたのは、夕方近くになってからだったという。

「運転手兼ボディガードから電話が入り、アランが脳卒中で倒れ、そのまま入院することになったと教えてくれました。“心配しなくていい。彼は大丈夫だ”とも。割と落ち着いた声でしたが、私は翌朝すぐに車で病院に向かいました」

“パパが死ぬかもしれない”

 病室に入ると、ドロンはベッドに横たわっていた。

「普段は見ることのない弱々しい様子でした。ただ、普通に会話はできたし食事も取れていた。ひとまずホッと胸をなで下ろしました」

 体調が安定してくると、ドロンはスイスのクリニックへリハビリのために移ることになった。

「ところが転院を目前に控えて容態が急変したのです。7月11日にパリ市内のピティエ・サルペトリエール病院に救急搬送されました。私はすぐ病院に駆け付けたのですが、運転手兼ボディガードから“一日中検査で面会禁止だから誰も会えない。このままドゥシーに帰って下さい”と追い返されました。後で分かったことですが、この日、病院にはアランの3人の子どものほかに、元妻のナタリー、アヌーシュカの恋人(現在の夫)や、アラン=ファビアンのガールフレンドも集まっていました。私が一旦、ドゥシーに戻ると、夜の9時半頃にアヌーシュカから電話がかかってきました。早口で“パパは今から手術なの。死ぬかもしれない”と言うのです」

 前編「アラン・ドロンへの虐待で刑事告訴され自宅にも戻れず… 17年間事実婚状態のヒロミさんが日本メディアに初の告白」では、ヒロミさんがドロンの子どもたちに一方的に刑事告訴され、現在も元の生活に戻ることができない苦しい胸の内を明かした。

 さらに、中編「『“一晩だけ”で終わるつもりが…』 アラン・ドロンと事実婚状態だったヒロミさんが明かす、ロマンチック過ぎる出会い」では、映画業界で活躍し始めたヒロミさんが、ドロンとの出会いや情熱的なアプローチについて語っている。

アラン・ドロン
俳優。1935年、フランス・セーヌ県で映画館を営む父と薬剤師の母との間に生まれる。17歳で海軍に入隊し、第1次インドシナ戦争に従軍。除隊から2年後の1957年に映画「女が事件にからむ時」で銀幕デビュー。24歳の時に主演した「太陽がいっぱい」は、日本でも大ヒットを記録した。

週刊新潮 2024年7月25日号掲載

特集「彼の子どもたちから刑事告訴され…『アラン・ドロン』謎の“日本人妻”が初告白」より

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