「“一晩だけ”で終わるつもりが…」 アラン・ドロンと事実婚状態だったヒロミさんが明かす、ロマンチック過ぎる出会い

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「“私をバカにしたのね”と言い放ち、そこで別れました」

「アヌーシュカの誕生から3年半後、ロザリーさんが、2人目の子のアラン=ファビアンを出産したのです」

 ヒロミさんがそのことを知ったのは、ドロンがホテルで開いた日本人向けディナーショーの場でだった。

「観客の一人がアランに“息子さんのお誕生、おめでとう”と声をかけたんです。それがきっかけでした。私はショーが終わった帰りの車に乗ることを拒否しました。アランは“歩いて話そう”と私を促し、そろってホテルの近くにあるセーヌ川のグルネル橋まで歩きました。あきれた私は怒りに任せてアランに“私をバカにしたのね”と言い放ち、そこで別れました。彼は“男女関係はない”とはっきり言っていたのに」

 その数カ月後、ヒロミさんの自宅にドロンから電話があった。

「“ヒロミがいなくて寂しい”“また一緒にレストランで食事がしたい”と。まるでカサノヴァが悔い改めたかのようでしたが、私の心は変わりませんでした」

 ちなみにロザリーが長女を出産した2年後の92年に製作された「カサノヴァ最後の恋」では、ドロンが主演と製作総指揮を担い、ヒロミさんは第2助監督として参加している。

ドロンとの関係は復活

 アラン=ファビアンが生まれた翌年、ヒロミさんは仕事の多忙さから別居状態となっていた夫との離婚に踏み切った。ケジメをつけるという意味もあったのだろう。その後、ほどなくドロンとの関係を復活させている。

「自分でも驚きましたが、あの頃の私は繰り返される彼の言葉にほだされてしまって……。復縁後もアランはドゥシーで家族と暮らし、私とは以前と同じように、平日だけ彼のアパルトマンで会っていました。時には、撮影現場で一緒に仕事をすることもありましたよ」

 さすがにこの頃になると、撮影所や業界関係者の間では二人の関係が公然の秘密になっていた。時が過ぎ、そのせいかどうかは不明ながら、2001年にロザリーはドロンのもとを去り、その年の末にフランス人の実業家と正式に結婚した。

「ロザリーさんと別れると、アランは頻繁に電話で“ドゥシーに来てほしい”と訴えてきました。でも、私には仕事があったので、すぐには彼の要望に応じられませんでした」

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