アラン・ドロンへの虐待で刑事告訴され自宅にも戻れず… 17年間事実婚状態のヒロミさんが日本メディアに初の告白

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いまだに自宅に戻れないヒロミさん

 22歳で銀幕にデビューして以来、数々の浮名を流したドロンが最初に結婚したのは1964年。お相手は女優のナタリー・ドロン(故人)で、彼女とは長男のアントニー(59)をもうけたものの、ほどなく離婚した。その後は、女優のミレーユ・ダルク(故人)、次いでオランダ人モデルのロザリー・ファン・ブレーメン(57)と事実婚関係に。ロザリーとの間には長女のアヌーシュカ(33)と次男のアラン=ファビアン(30)が産まれているが、2001年に関係を解消し、以来、ドロンは独身を貫いているとされていた。

「番組ではヒロミがドロンの背中に抱きつく姿など、二人が仲むつまじい関係にあることをうかがわせる写真も紹介されました。一夜明けると、マスコミはヒロミの存在を一斉に報じ始めた。中には“アラン・ドロン、日本人女性に恋している”と、センセーショナルなタイトルの記事を掲載した雑誌もあったほどです」

 昨年5月、週刊誌「パリ・マッチ」のために二人を撮影したカメラマンのミッシェル・マリジーは、週刊政治誌「ル・ポワン」に答えている。

〈われながら美しい写真だと思いました。アランも同じ感想だったようで、表紙のタイトルを提案してくれました。それは“私の人生で最後の女”というものでした〉

 ところがその写真企画は幻となり、一方でヒロミさんは“時の人”となった。昨年7月5日にドロンの子たちからドゥシーを追われ、同居していたドロンへの虐待をはじめ五つの容疑で刑事告訴された。当初、フランスメディアはこの騒動を大々的に報じたが、今年1月に検察が彼女を不起訴処分としたことを公表。事態は鎮静化したかに見えた。が、ヒロミさんはいまだにドゥシーに戻れず、パリ郊外の自宅で愛犬と2匹の黒猫とともにひっそりと暮らしている。

フランスに渡ったきっかけ

 ヒロミさんに何が起きたのか。トラブルの本質を理解するには、彼女の来歴や、これまでのドロン一家との関係を知る必要がある。本誌(「週刊新潮」)はそれを語ってもらおうと、取材依頼の手紙を送付するなど接触を図った。返事が寄せられたのはおよそ1カ月後。ついに彼女は重い口を開き、自身の来歴やドロンとの関係を語り出した。日本のメディアに初めて吐露したその肉声をお届けする。

「とくに映画が好きだったわけでも、フランス人俳優に憧れを持っていたというわけでもありません。フランス行きを思い立った最大の理由は、フランス語を学びたかったから」

 57年生まれの彼女は大阪市の出身。府立高校を卒業すると、1年間の準備期間を経て渡仏した。

「パリに来たのは76年の10月。最初にソルボンヌ大学のフランス語コースに入学して、語学を身に付けることから始めました」

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