日テレが「若草物語」放送へ 「セクシー田中さん」問題が影響か…ドラマ化で注目される「著作者人格権」

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堀田真由が主演 10月から

 日本テレビは10月から日曜午後10時半からの連続ドラマ枠で、堀田真由(26)主演の「若草物語」を放送する。原作は1868年に発表された不朽の名作。作者で米国人女性作家のルイーザ・メイ・オルコットは1888年に亡くなっているため、著作権は消滅している。それもドラマの原作に選んだ一因と見られる。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】

「若草物語」には異なる夢を持つ4姉妹が登場する。舞台は南北戦争時代(1861~1865年)の米国マサチューセッツ州だ。

 発表当時から米国の少女たちの間で爆発的人気となり、やがて約50カ国語で出版された。今も世界中で読み継がれている。映画やドラマ、ミュージカルに何度もなった。

 日本でも、日テレが1957年に故・細川ちか子さん主演で単発ドラマ化。1968年には大阪の毎日放送が芦川いづみ(88)主演で連ドラにした(関東では現在のテレビ朝日であるNETが放送)。フジテレビは倉野章子(77)主演で1973年に昼ドラ化。ちなみに芦川は藤竜也(82)、倉野は角野卓造(75)の妻である。アニメ化も4回行われた。

 発表から156年が過ぎた今も色褪せず、「女性なら誰もが1度は手にしたことのある小説」とされている。一方で最近のテレビ界で古典文学の連続ドラマ化は極めて珍しい。背景には何があるのか。

 同じ枠で放送された連ドラ「セクシー田中さん」(昨年10~12月放送)の問題を受け、日テレのドラマ制作は変革期にある。原作漫画の作者である故・芦原妃名子さん(没年50歳)との間で改変などをめぐってトラブルが生じ、その後の今年1月末には芦原さんが自死するという悲劇が起きたので、変わろうとしている。その答えの1つが古典文学の連ドラ化なのだろう。

 日本や欧米諸国などの場合、著作権の保護期間は原則的に作者の死後70年。このため、「若草物語」の著作権は消滅している。だからドラマ化権料は発生しない。

 それより遥かに大きいのは、同一性保持権(作品内容を勝手に改変されない権利)を含む作者の著作者人格権も存在しないことだろう。

 著作者人格権は原則的に作者の死去と同時に消滅する。このため、「若草物語」はドラマ制作者が自由に改変できる。たとえば舞台を米国から日本に移そうが問題はない。

 日テレが5月31日、版元の小学館が6月3日に発表した「セクシー田中さん」問題に関する報告書を見ると、このトラブルの大きな要因が芦原さんの意向に合わない改変だったことが分かる。

 テレビ界には「改変はドラマ化の際の常識」と言う制作者が少なからずいるものの、それは制作者側の一方的な論理であり、法的正当性があったのは芦原さんの主張にほかならない。

変わる日テレのドラマづくり

 しかし、日テレは従来の慣行や考え方をあらためようとしている。日テレの報告書内には「今後の提言」という項目があり、こんなことなどが書かれている。

「ドラマ化にあたっての思いを(原作サイドに)事前に説明する。映像化するに際しての全体構成案・演出などが書かれた『相談書』を作成し、原作サイドが映像化についてイメージし共感できるものとする」

 これらが実行されたら、小説や漫画の改変をめぐるトラブルは未然に防げるだろう。半面、今後の日テレは原作のある連ドラをつくる際には、従来よりもかなりの時間を必要とするようになる。

「セクシー田中さん」の場合、制作の着手から放送開始までに半年しかなかったが、「今後の提言」を守ったら、こんな短期間では到底つくれない。1年から1年半はかかるようになるだろう。

 一方で、作者側と相談する必要のないオリジナル脚本で連ドラをつくろうとすると、脚本家が足りない。プロデューサーたちは「脚本家が不足している」と口を揃えている。連ドラ枠は多い一方、脚本家の育成が十分に行われているとは言えないことが背景にある。

 そう考えると、日テレが古典文学を連ドラ化するのは理解できる。「若草物語」が成功したら、他局も古典文学に目を向けるのではないか。

 そもそも、1980年代までは古典小説のドラマ化がよくあった。たとえばNHKは1981年、ロシアの文豪・トルストイの3大作の1つ「復活」を原田美枝子(65)主演で連ドラ化した。

 原作は若い貴族が殺人事件の裁判に陪審員として出廷するところから始まる。被告人は若い女性で、貴族がかつて関係を結び、捨てた相手だった。女性は貴族の子供を産んだあと、生活のために娼婦になる。

 そして、女性は殺人に関わってしまう。貴族は自分の罪深さに気づき、女性の恩赦を求めて奔走する。さらに彼女の更正に残りの人生を捧げる。

 NHK版は貧しい農家の娘(原田)が華族の息子(篠田三郎)と恋に落ちるが、「身分違いだ」として引き離される。娘一家は土地を追われてしまい、娘は暮らしのために娼婦となった。やがて娘は無実の罪で捕らえられてしまう。華族の息子は娘を救うために自分の全てを投げ打つ。

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