すべては“母の浮気”のせいなのか… 父が命を絶って一家離散、40歳男性が救いを見出した「夜の出会い」

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心の癒しを「酒」に求めて…

 母さえしっかりしていれば、と思わないでもなかったが、むしろさっぱりしていいかもしれないと彼は感じていた。だが妹たちはまだ20歳を過ぎたばかり。寂しかっただろうと周一さんは振り返る。

「母の再婚相手というのも、なんとなく信用できないタイプでしたね。でも母は大人ですし、僕が反対してもしかたがない。僕は自分の仕事でがんばっていこうと……」

 人生なんて、どこでどうなるかわからないものだと20代半ばになった周一さんはしみじみ感じたという。たった数年で5人家族はあっけなくバラバラになったのだから。

「僕自身は荒れたつもりはなかったんですが、やはり心がどこか荒んでいたのかもしれません。仕事はがんばったけど、週末になると飲んだくれていましたね。そのころ住んでいたアパートの近くのスナックによく通っていました」

 飲み過ぎるとママが止めてくれる。酔うと怒られたりもしたが、それが居心地のよさにつながった。やはり彼は寂しかったのだろう。

「僕が28歳、ママは40歳くらいでした。ママには若くして産んだ娘の理子ちゃんがいて、当時18歳。ときどき店を手伝いに来ていました」

ママに起きた悲劇

 ある日、スナックのドアを開けると、珍しく誰もいない時間帯だった。いつも陽気で気っ風のいいママも沈んでいる。どうしたのと聞くと、ママは「誰もいないから言っちゃう。別れた夫が死んだの。さっき連絡があってね」と話し始めた。

「彼も自ら命を絶ったそうです。『娘が産まれてすぐ別れたから、もう18年もたつのに、心のどこかにあの人が住んでいたのよね』としみじみ言っていました。たまに連絡を取り合っていて、娘の理子ちゃんも父親とは接点があったようです。学費は父親が出してくれていたんですって。離婚後、ママも元夫もずっと独身だった。お互いに、また一緒には暮らせないけどたまに会う関係は続けていこうと話していたそう。旧友のような感じだったから、つらいことがあるなら話してほしかったとママは涙ぐんでいました」

 周一さんはママを慰めながら、自分の話も少しだけした。ママは身を乗り出して聞いてくれた。お互いに気持ちがわかるだけに一緒にいることで慰められるような気持ちになった。

「なんとなくそれからママが、単なるスナックのママじゃなくなった。一回りも年上で、娘と僕のほうが年齢が近いけど、僕はママを意識するようになりました。ママにも僕の気持ちは徐々に伝わっていったと思います」

今日は理子がいないの

 ママがふと、「うちのキッチン、棚が少なくて困ってる」と洩らすと、「週末、棚作ってあげようか」と彼は言った。そうやって物理的にも心理的にも距離が近くなっていった。意図的だったのか、そうなるべくしてそうなったのかは彼にもわからないという。

「理子ちゃんは学生生活を楽しんでいるようで、店やよそでアルバイトをしては週末は旅行したりボランティアに行ったりしていましたね。まっすぐでいい子だなと思っていました」

 今日は理子がいないのとママが言った日、周一さんは初めて泊まった。朝起きると、ぷんと味噌汁の匂いがした。朝から家で味噌汁なんて何年ぶりだろう、父親が生きていたころ以来ではないかと彼は鼻の奥がツンとするような感慨にとらわれた。ママを初めて、「今日子」と名前で呼んだ。

「それから半年、結婚しようかと僕は突然、言いました。今日子は、『なにバカなことを』と相手にもしてくれなかった。あなたはこれからの人よ、私は今日だけの人、と自分の名前を引き合いに出して彼女は笑った。そういうところが好きなんだよと言ったら、私はそこまで厚かましくないって」

 そう言われれば言われるほどムキになるのは人の常だ。彼も、どうしても結婚したいと思うようになっていった。

 ***

 家族がバラバラになる悲しみから立ち直り、幸せを掴んだかに見えた周一さんだったが…【後編】では、予期せぬ人物との出会いが、彼を転落させるまでを紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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