女子野球でイチローとゴジラ急接近…“歴史的雪解け”の内幕 因縁は精算、侍ジャパンの「二頭体制」に現実味

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交わらなかった松井氏との球歴

 プロ野球オリックスや米大リーグ、マリナーズなどで日米通算4367安打をマークしたイチロー氏(50)が率いる草野球チーム「KOBE CHIBEN」が、9月23日に東京ドームで行われる高校野球女子選抜とのエキシビションマッチに臨むと発表された。4度目の開催で、特別ゲストとして松井秀喜氏(50)が参加することとなり、日本の球界関係者の間では波紋を呼んだ。イチロー氏とその1学年下に当たる松井氏はこれまで接点が乏しく、一部で不仲説が取り沙汰されるほどの関係にあったからだ。ともに50歳を過ぎた。過去を清算するかのような大物2人の急接近の内幕を探ると――。

 イチロー氏はオリックスで1994年にプロ野球史上初の200安打をクリアするなど、一足先に大ブレークを遂げた。ほどなく松井氏も巨人で主砲の座に就く。安打製造器と長距離砲。プレースタイルこそ違えど同時期にセ、パを代表する打者として活躍した後、イチロー氏は2001年にメジャー初の日本人野手としてマリナーズ入り。松井氏は03年にヤンキースでメジャー挑戦に至った。

 同一チームでプレーしたことは日米野球や大リーグのオールスター戦など数えるほどだ。96年の日本のオールスター戦ではパ・リーグの仰木彬監督(オリックス)が松井の打席で、イチローを投手起用。これにセの野村克也監督(ヤクルト)が、球宴も真剣勝負であるとの持論から松井の代打に自軍の高津臣吾投手(現ヤクルト監督)を立てたことで、2人の関係までもが対立軸で捉えられるようになった。

 そして両者の生き様の違いを決定的にしたのが日本代表との関わり方だった。06、09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で参加を志願し、チームリーダーとして日本を優勝へと牽引したイチロー氏に対し、松井氏は一度も代表のユニホームに袖を通すことはなかった。国民栄誉賞でもイチロー氏が3度辞退した一方、松井氏は長嶋茂雄氏とともに受賞。結果として2人の球歴はどこまでも平行線を辿った。

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