【特別読物】「救うこと、救われること」(2) 江國香織さん
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江國香織さんは、旅が大好き。本を読むときも、執筆の時も、旅をしているような感覚でいるといいます。そんな江國さんが、昭和の思い出や、妹さんというかけがえのない存在を語ってくれました。
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昭和、平成、令和と元号が移り変わって、昭和が遠くなりましたよね。最近、新潮文庫になった『ひとりでカラカサさしてゆく』では、昭和を体現してきた人たちの魅力を忘れて欲しくない、見せたいと思ったんです。今、80代、90代になっている人たちです。
働き方が見えた昭和の時代
私自身が、魅力的な昭和の大人をたくさん見てきたし、私自身の大きな部分も昭和で出来ているように思います。父(エッセイストの江國滋氏)や母の周りにいたひとたちはそれぞれとても魅力的でした。うちに遊びに来てくださる人も多くて、編集者や作家、画家、落語家が来られていました。
また、ライフスタイルがすっかり変わったので、今はない職業もあって、親戚に「さすらいの経師貼り」といわれる人がいました。全国を回って、屏風や掛け軸を直したり、襖、障子を張り替えていたんです。家族はいるんですが、数年に一度しか自宅に帰ってこないので、私は長いことお父さんがいない家だと思い込んでいました。スケールが大きいというか、現代ではちょっと考えられない暮らしですよね。
昭和は人の暮らしというか、仕事がよく見えていました。酒屋さん、お米屋さん、魚屋さん、肉屋さん、乾物屋さん、たばこ屋さんという風に、それぞれお店がありましたし、酒屋さんなど、ビールの大瓶が10本以上入った箱や一升瓶を配達するので、子供心にすごい力持ちだなあと感心していました。
自宅の裏口から御用聞きが来ていたことも懐かしい風景です。
いつも旅をしている
私は執筆にはパソコンを使わず、いまも手書きの原稿です。このスタイルはずっと変わりません。それと、小説を書くときに、私の場合は、先にプロットを立てずに書き進んでいくんです。
本を読むことも書くことも、それぞれちょっと逃避しているというか、どこかに出掛けているような感覚があるんですね。旅行が好きで、読んでいる本であっても、書いている小説であっても、その世界の中に入って行くのが好きなんです。自分が知らない場所に出掛けていって、登場人物を観察しているような感じというか。だから、人物の運命も前もってわからなくて、書き進めているうちに死んでしまったということもありました。
私がなぜ書き続けていくかというと、そこにある世界を言語化したいという欲求があるからです。そうしないと私自身がその世界を理解できないのです。家族でも恋愛でも友情でもいいのですが、世界のほんの一部、カケラでもいいから詳らかにしたい、理解したいと思うんですね。
まあ、しかし、執筆はなかなか進みません。その世界をずっと旅して眺めているのですが、なかなか動かず、たばこばかりが進みます。その世界を一生懸命見て書こうとしてはいるのですが。
妹がいてくれてよかった
そんな私にとって実際に旅に出掛けることは、やはり気持ちの解放になっているという点で大きいですね。コロナの3年間は出掛けられなかったので、昨年から年に2回ほど出掛けています。どこにでも行ってみたいと思うのでヨーロッパでもアメリカでもアジアでもいいんです。今年はヴェトナムに行ってきました。滞在先はハノイのみ、現地2泊という強行軍でしたが、妹も一緒の女性4人の旅で、本当に楽しかったです。
違う国に行くと、同じアジアであっても日差しが違うし、空港に降り立ったときから、色も匂いも違います。果物でも、同じリンゴであっても、色や形、味すらも違いますから、面白いんです。
その旅から帰ってきて今更ながら思うのが、私にとって妹の存在がどれほど大きいかと言うこと。両親を送った今、もはや何ものにも代えがたいというか、救いに近いといえるかもしれません。
6歳離れているのですが、可愛くてずっと仲がよくて。大人になったらもう年は関係ありませんね。妹は編集者をしています。彼女のおかげで、最近、合唱とゴスペルを始めました。私自身は音楽の授業ですら歌うのが嫌いだったほどですが、妹は合唱部に入るくらい好きなんです。
そういうところは違うんですけど、周りの友人たちも還暦前後の年齢になってきて、何か一緒に出来ることないかなと思ったんですね。スポーツだと怪我するかもしれないけど、合唱なら、体を使うし、覚えなくちゃいけないことも多いし、ボケ防止にもなるんじゃないかって。
両親は沢山のものを与えてくれた有り難い存在ですがが、何よりも感謝しているのは妹を産んでくれたことかもしれません。
■提供:真如苑