オールスター開幕で振り返る有名選手の“落選劇” 「落合博満」は監督推薦から漏れ、「野村克也」はファンの“組織票”に泣かされた

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現役晩年の野村監督を落選させた“組織票”

 実は、野村監督も現役晩年に、組織票のとばっちりを食う形で、オールスター落選の悲哀を味わっている。

 1978年、南海の監督を解任され、ロッテで一兵卒として再スタートした野村は、開幕当初こそ正捕手を務めたが、その後、高橋博士や榊親一に出番を奪われ、ベンチを温める日が増えた。「現役時代で最もつらかった時期」である。

 だが、オールスターファン投票では、過去20回の出場歴や“生涯一捕手”への激励も追い風となり、パ・リーグ捕手部門で堂々のトップ。本人も球宴出場を楽しみに、打撃練習に励んでいた。

 ところが、投票締め切り直前になって、まさかのどんでん返しが起きる。日本ハムに大量の組織票が流れたのだ。

 応募締め切り前日(7月6日)の時点では、野村は4万9582票でトップ、2位・加藤俊夫(日本ハム)は4万7277票だったが、たった1日で加藤12万3042票、野村5万8089票と一気に逆転された。

 しかも、7日発表の得票は4日到着分までの集計だったため、同14日発表の最終集計では、加藤30万6298票、野村15万5517票とその差はさらに広がっていた。加藤は7月1日の時点では1万1066票で3位だったのに、締め切りまでに30万票近くも上積みされたことになる。

球宴への出場には「運」も必要?

 前代未聞の巨大組織票により、パ・リーグは、9つのポジション(当時)のうち、外野手の福本豊(阪急)を除く8人までが日本ハム勢で占められた(その後、“球宴ジャック”の批判に配慮する形で、古屋英夫と菅野光夫が出場辞退)。

「そうか、しゃあないな」と結果を素直に受け入れた野村は、監督推薦でも、有田修三(近鉄)、中沢伸二(阪急)の両捕手が選ばれた結果、ケガで出場辞退した1969年以来の“幻の球宴”となった。

 最後は2年続けて不運に泣いた選手を紹介する。中日時代のルナである。2013年は両リーグトップの打率をマークしながら、ファン投票では三塁手部門3位で落選。その後、選手間投票で出場が決まるも、左膝のケガが悪化し、無念の出場辞退となった。

 さらに翌14年も、6月30日の時点でリーグトップの打率.342と11本塁打、51打点を記録しながら、ファン投票では、5月上旬からケガで戦列を離れていた堂林翔太(広島)が“カープ女子”の後押しを受けて三塁手部門トップ(ルナは5位)。選手間投票でも、ルナは打率.278、9本塁打、34打点の村田修一(巨人)に次ぐ2位に終わり、まさかの落選という結果に……。

「村田選手もいい選手だし、落ち込むことはない。これからも自分の仕事をするだけ」と気持ちを新たにしたルナだったが、7月13日の広島戦で右肘を痛め、3週間以上も離脱と、とことんツイてなかった。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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