相次ぐ不祥事に川路利良は泣いている…148年前に編纂された「警察手眼」に見る警察官のあるべき姿

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「日本警察の父」

 東京・府中市の警視庁警察学校にある「川路広場」には、今年で創立150年を迎えた警視庁の初代警視総監(当時は大警視)、川路利良(1834~1879)の銅像が建てられている。入校式などの行事はもちろん敬礼などの所作や部隊行動・行進、多くの警察官が「最もキツかった」と回想する「教練」の様子などを見守っている。

「日本警察の父」と呼ばれる川路は旧薩摩藩士で、1872(明治5)年、西郷隆盛(1828~1877)の推薦を受け欧州各国の警察制度を研究するため渡欧、フランスのパリ警視庁などを視察した。帰国後、1874(明治7)年に発足した東京警視庁の大警視に就任。木札の身分証明証を警察手帳に変更し、警察学校の前進にあたる巡査教習所や警察病院を設立した。警視庁や大阪府警などが採用している管内を分ける「方面」など、川路が生み出した制度は今も残るものが多い。

 川路は1877(明治10)年の西南戦争で政府軍に属し、大恩ある西郷を敵に回して薩摩軍と戦ったことから、「故郷に弓を引いた」との批判も受けた。しかし、没後120年の1999年、生まれ故郷である鹿児島県の、それも県警本部前に銅像が建立された。

 現職警察官による不祥事が相次いだ上に、県警本部長を告発した前生活安全部長(60)が職務上知り得た秘密を外部に漏らしたため逮捕――川路の地元・鹿児島県警は今、未曽有の事態に揺れている。

 そんな川路が公私にわたり残した訓戒や説示を部下の植松直久(1846~1882)が集めて編纂した『警察手眼(けいさつしゅげん)』が1876(明治9)年9月に刊行されている。「警察官ノ心得」「署長心得」「部長心得」「巡査心得」「探索心得」など8項目、85編が記されている。

「明治時代に書かれたものとはいえ、警察官のあるべき姿や捜査の極意など、その内容は今の時代にも通じる警察官のバイブルです。鹿児島県警だけでなく全ての警察官は今一度、いや何度でも読み返して欲しいと思います」(元警察キャリア)

 では、そんな“警察官のバイブル”には具体的にどんなことが書かれているのだろう。

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