「小泉進次郎」は5回戦、「北村弁護士」は8強進出! 高校野球「夏の地方大会」で活躍した“有名人列伝”

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野球で培ったチームワークが宇宙でも活躍

 宇宙飛行士の若田光一氏も、小学生のときにリトルリーグで野球を始め、埼玉・浦和高時代も野球部に在籍した。控え捕手で、ブルペンで投手の球を受けることが多かったが、練習試合で市立川口の斎藤雅樹(元巨人)から中前に代打安打を放ったこともあるという。

 レギュラーの座を目指し、部の練習以外にもウエイトリフティングで筋力アップに励み、ランニング、素振り、バッティングセンター通いなど、懸命に努力を重ねたが、高3の夏、ベンチ入りメンバーの発表で、最後まで名前を呼ばれることはなかった。

「『あんなに頑張ったのに、なぜダメなのか』と落ち込んだと同時に、自分としてはできる限りのことをしたので、後悔はなかった。大会ではスタンドからの応援だったが、清々しい気持ちだった」(自著『続ける力 人の価値は努力の量によって決まる』講談社)。

 当時の中島潤一監督から「野球というのはチームワークと集中力と洞察力を培う場所だ」と3つの資質を教えられたことが、宇宙飛行士の仕事に於いても、とても大切だと実感しているという。

他にもまだまだいる、「元球児」の有名人たち

“イタリアンの貴公子”の異名をとるイケメンシェフ・川越達也氏も、宮崎・本庄高時代は内野の要・ショートを守っていた。

 1990年夏の県大会では、1回戦の日南振徳戦で、1対0の4回に先頭打者として四球で出塁、大量5得点の猛攻を呼んだ。チームは3回戦で都城に3対9で敗れたが、9番・川越は4打数3安打を記録している。

 このほか、気象予報士の天達武史氏も、神奈川・津久井浜高時代は外野手。最後の夏は初戦(2回戦)の旭戦で代打出場している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

デイリー新潮編集部

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