数字が減っていく通帳を見て「家賃、払えるかな…」 元日テレ・魚住りえアナが明かす「フリー」の厳しさ

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43歳で著書がヒット

第2回【元日テレ・魚住りえアナ “ものまね”で宇多田ヒカル「Automatic」熱唱に家族の反応は…実は苦手だった番組】からの続き

 元日本テレビアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動する魚住りえさん(52)。32歳の時に、同局を退社し、フリーで活動を始めた。43歳の時に出版した著書『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』がヒットし、「魚住式スピーチメソッド」を確立する。これまで順風満帆のように見えるが、一時は金銭的に苦しかった時期もあったという。(全4回の第3回)

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 日本テレビを退社したのは32歳の時です。割と迷いなく決めました。もちろん局のアナウンサーの仕事は楽しくやりがいもありましたが、大きな意味で「表現者」としてステップアップしたいと考えました。

 でも、「フリー」というのは、本当に大変です。

 芸能界の厳しさを肌で感じましたし、それまで、日本テレビに守ってもらっていたことを痛感したこともあります。会社を辞めると伝えたとき、父からは「もう、ローンを組めなくなるぞ」と言われたことを覚えています。日本テレビという「名刺」がなくなれば、社会的信用がなくなると。父は国立大学の医師で国家公務員だったので、これからどうするんだと相当心配していました。

 フリーになって30代はテレビの仕事を中心に活動してきましたが、社員ではなくなったことをきっかけに、テレビとは全く関係のない方たちとの繋がりができました。既に自営業をしていたり、これから会社を作るなどエネルギーに満ちあふれた人たちに、男女問わずたくさん出逢いました。

 自分は世の中のことを何一つ知らないと思い知らされました。彼らと食事やお酒を飲みに行ったりして、話を聞いて学び、大きな刺激を受けました。一気に視野が広がり、私の世界観が変わりました。

 リスクはあるけれども、生き生きと自由に生きている方たちと出逢って、自分も刺激を受けました。人間関係がグンと広がりました。そういった意味で、フリーになって本当に良かった。これは断言できます。

いいやと思って保険も全部解約

 40歳の時、完全に自分一人でやっていくために、それまで所属していた芸能事務所も退所しました。これからは、しばらくスピーチ・ボイストレーナー1本でやっていくことを決めました。レギュラーだった「ソロモン流」(テレビ東京)のナレーションだけを残して、すべて降りました。

 今までやっていた他のレギュラー番組を手放しましたので、入ってくるもの(収入)はほとんどありません。いいやと思って保険も全部解約しましたし、服や靴は新しいものを買わず、ずっと同じものを着ていました。数字が減っていく通帳を見て、「どうしよう」と思ったことが何度もあります。「このまま家賃、払えるかな……」と不安になり、眠れない日もありました。

 既にフリーランスの方や、起業した社長達からは「スタート地点ではそんなの当たり前。フリーランスになったら止まらない列車に乗ったと思わないと。そんなに甘くないよ」と笑われました。かなり厳しいアドバイスも頂いていたので、背水の陣というか、後ろを向いたら崖しかない状態を作って、とにかく前を向いて走り続けるしかないと自分を追い込んだのだと思います。

 そんな中、私はスピーチ・ボイストレーナーとして、会議室で無料の体験レッスンを続けました。受講生からは「こっちの練習法がいい」とか、「この本が良かった」という声が届いていました。そうした声を集めて、私なりにアレンジを加えて、レッスンに改良を重ねていきました。こうしたノウハウをもとに本を作ろうと思い、本の企画を作りました。それが2015年に出版した『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』です。

 ただ、どの出版社に企画を持っていっても、門前払いでした。「話し方の本なんて、最近こんなの売れませんよ」という感じで……。それも分かるんです。当時、“コミュニケーション本”が全く売れてなかったですから。でも、「お願いします」とあちこちで頭を下げ続けていたら、1社だけが手を挙げてくださいました。「ああ、意外にこれ面白いかも。やってみたいです」と言ってくださり、やっと出版に至りました。

 蓋を開けてみれば、驚くほど本が売れ、担当の編集者もびっくりしたほどです。

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