今田耕司は頑なに「中山クン」と呼び続けた 吉本芸人一派からは“仮想敵”…「農耕型タレント」中山秀征の矜持
「ヒデちゃん」とは呼ばず
1993~1994年に放送されたフジテレビの深夜番組「殿様のフェロモン」では、共に司会を務めた中山と今田耕司の間にピリピリした空気が流れていたという。
番組が始まる前の決起会で中山が今田に話しかけても、そっけない答えしか返ってこない。本番が始まると、今田は中山の振りには答えず、薄いリアクションを返すのみ。中山のことを「ヒデちゃん」とは呼ばず、頑なに「中山クン」と呼び続ける。「生放送の現場で自分を潰しに来ている」と中山は感じていた。
出演者全員を生かそうとする中山の「テレビバラエティ」の流儀と、出演者全員で潰し合って何とかして笑いをもぎ取る今田の「お笑い」の流儀は最後まで噛み合わず、番組は半年で終了してしまった。
その後、長い年月を経て2人は和解した。久しぶりに会った今田は中山に当時の非礼を詫びて「あのスタジオでテレビのことをわかっていたのはヒデちゃんだけだった」と語った。
本格お笑い至上主義の立場から見れば、みんなから「ヒデちゃん」と呼ばれているあの男が、浅瀬で水遊びをしている甘っちょろい芸人崩れにしか思えないかもしれない。
だが、著書を読んでみると、彼がテレビのエンターテイナーとしてそれなりに筋の通った生き方をしてきたことがわかる。ダウンタウンを頂点とする本格志向のお笑いとは別の流儀で、彼もしぶとく芸能界を生き延びてきた。
農耕型タレントの仕事ぶりは、表向きにはなかなか見えてこない。しかし、中山が屋台骨を支えることで成り立っている番組はこれまでにたくさんあった。彼は密かなこだわりを持つ職人気質の一流タレントだったのだ。
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