横尾忠則と“オーロラ”の不思議な巡り合わせ 「Y字路シリーズに気づいたら描き込んでいた」

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前回のつづき)夜明けと共にオーロラは太陽の光の中に溶け込んでしまった。たった一人で宇宙の饗宴に与(あずか)った幸運に一睡もしなかったにもかかわらず、不思議な爽快感に僕は満足していた。

 この頃は毎年のようにニューヨークに出掛けていた。あのニューヨークの独特の雰囲気が僕の日常にぴったりで、不思議と元気づけてくれるのだった。いつの間にかアメリカ人の友人、知人もニューヨークを訪れる度に増えた。と同時にニューヨーク在住の日本人の友人に会うのも愉しみのひとつであった。今回はホテルにチェックインするなり、前年に、石岡瑛子さんに紹介された大島さんという石のコレクターで、石を使用したジュエリーデザイナーの女性が、呪術師のお婆ちゃんに僕をぜひ紹介したいと言って、そのお婆ちゃんの住むアパートに連れていってくれた。

 このお婆ちゃんと同様、かなり年季の入った古いアパートに一人で住んでいた。行くなり彼女は大島さんに、「この方、おひとりではないですよ」と言った。僕と一緒に何人かの誰かがここへ来ていると言うのである。大島さんがきょとんとしていると、お婆ちゃんは「この人の連れはこのアパートの上空にいます」と全くわけのわからない話をし始めた。大島さんも僕もキツネにつままれた状態であっけに取られてしまった。どうもお婆ちゃんには、その存在が見えるらしい。彼女が言うには、その存在はどうやら宇宙的存在者のようなのである。

 と、突然、昼なお薄暗い部屋の電燈が消えてしまった。間もなくすると、アパートの人達が部屋から外に飛び出して、停電したことで大騒ぎになり始めた。お婆ちゃんが言うにはこのアパートに40年だか住んでいるけれど停電したことなど一度もないと、怪訝(けげん)な顔をして僕を見つめるのだった。まるで何んだか僕のせいだと言わんばかりに思えて僕も困っていると、やがて電気がつき、アパート中の大騒ぎも収まって、3人ともヤレヤレという気になったが、お婆ちゃんは停電が僕が連れてきたという何者かのせいであると言いたそうに思えた。

 大島さんもこのような現象に非常に関心がある人で、この停電をもたらした、アパートの上空の存在とかに非常に興味を持ちだしたが、僕は逆にこの世界の文明の中心であるニューヨークのド真中で語るお婆ちゃんの都市伝説的な考えに不思議な異和感を覚えた。

 さらにお婆ちゃんは、僕の顔を見つめながら、「この人にはオーロラ姫という女神がサポートをしているわよ」と言った。ニューヨークに来る飛行機の中で何時間もオーロラを眺めていたことと、このオーロラ姫とかが関係しているのかどうか僕にはわからなかったが、僕はこの場では機内からオーロラを見たという話はむしろしない方がいいと思って二人には黙っていた。

 アパートの上空の存在やオーロラ姫のことはニューヨークの街へ出るなり、すっかり忘れて、現実のニューヨークのあの創造的なエネルギーの中に僕は溶け込んでしまった。1ヶ月ほど滞在して帰国するのだが、帰国時にはオーロラはいっさい現われなかった。

 だが、あの非現実的な光景は頭から離れず、僕のライフワークにしている夜のY字路シリーズの作品に、気がついたらオーロラを描き込んでいた。と考えるとあの機内で目撃したオーロラはやがて描くことになるY字路のオーロラを予感させていたのかも知れない。

 ついこの間、太陽表面の爆発・太陽フレアの影響によって世界の各地でオーロラ現象が現われて、南ヨーロッパや日本の各地でもオーロラが目撃されたというニュースを知った。今回の日本でのオーロラもかなり話題になったが、実は5、6年前、もう少し前かな? 僕は神戸港の上空にオーロラが出現した瞬間を目撃したのである。その夜、僕は気分が悪くなって救急車で病院に搬送されたのだが、2、3時間後にホテルに帰ることができて、部屋いっぱいの広い窓から神戸港の夜景を眺めていた時、ふと上空の薄い雲が割れたかと思うと、そこに突然オーロラが現われたのである。

 オーロラがどのようなものであるかは、あの時機内で見たのですでに知っている。上空から縦に光の柱が降りたかと思うと、その光が再び舞い上って、そこにオーロラが現われた。上下、左右に、まるでバレエのダンサーが踊っているようにその美しい姿は、ほんのわずかの時間だったが、まるで「見て下さい」と言わんばかりに出現し、再び闇の中へ逃避するように消え、それ以後二度と現われなかった。江戸時代の文献だかに、オーロラが京都の空に出現したという記録があると何かで読んだような気がするが、僕が見た神戸港のオーロラは、翌日の新聞にも書かれず、幻のオーロラとして気象庁も確認していなかった。神戸港のオーロラは僕の網膜の裏にだけちゃんと記録されている。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

週刊新潮 2024年7月18日号掲載

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