安室奈美恵、SPEED、満島ひかり…「沖縄スター」を世に送り出したマキノ正幸さん死去 「才能を発掘する天才」からの転落と“復活”

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金儲けが目当てだった

 アクターズスクールの創業も金儲けが目当てだったと正直に語っている。好反響は最初だけ。借金を抱え、2児を残して妻は去る。金とマキノ一族の名に人々が擦り寄っていたと気付く。ダンスなどについて独学し、スクールの経営を続けた。

 こうして87年、見学に来ていた当時10歳の安室に一目で引きつけられ、頭を下げて入学を請うた。マキノさんの直感通り安室は頭角を現す。92年から東京を拠点に活動を始め、95年、爆発的にヒットした。

 才能を発掘する天才などとマキノさんは称賛を浴び、自身も有名人に。栄光は長く続かず2000年ごろから芸能界とも溝が生じていく。

「東京の芸能プロなどが独自に沖縄に出先を設けるようになったのです。マキノさんを通り越す形になり、送り出すビジネスが成立しなくなった」(石川さん)

経営迷走も“復活”

 子供たちが自分の才能に気付いてほしいとの思いは、次第に芸能から教育に移り、99年、不登校児らを積極的に受け入れる学校を沖縄に開校。が、自ら招いた東大法学部卒の校長を、方針の違いを理由に約3年で事実上放逐する。事業の中心のアクターズスクールでも、インストラクターとして長年支えてくれた娘の牧野アンナさんを02年に追い出した。

 経営は迷走。安室が引退した18年にマキノさんの近況が注目された時、スクールは細々と継続していたが、借金返済のためにほぼ全ての資産を手放していた。

 長く絶縁状態だったマキノさん、アンナさん父娘は21年に関係を修復。これを契機に、翌22年、多くの出身アーティストが出演する「大復活祭」を沖縄で開催。アンナさんと兄の彰宏さんが新しい法人を設立してスクールを再始動させている。

 6月28日、敗血症性ショックのため83歳で逝去。

 東京にスターを送り出し続け、のし上がるために常軌を逸していた部分もある。無責任な商売をやっていたと思う、と晩年に述懐していた。偽らざる心境だろう。

週刊新潮 2024年7月18日号掲載

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