クジラ肉が“庶民の味”から“高級食材”に進化…“商業捕鯨”再開から5年で様変わりした「捕鯨新時代」の実状

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「いまの若者からは“クジラって捕ってもいいの?”、“食べていいの?”、“どこで買えるの”、“どこへ行けば食べられるの?”といった疑問の声が挙がるんです。一方で、年配者には“クジラ肉は硬いし、臭いし、赤々としたドリップが出る”というネガティブなイメージがある。そんな中で、なぜ、いまクジラを捕って食べる必要があるのか。そうした声に応えていかなければならないと思っています」

 この春、73年ぶりとなる大型捕鯨母船「関鯨丸」を建造・完成させ、クジラにゆかりある山口県下関市や東京・有明ふ頭でお披露目した、捕鯨会社「共同船舶」(東京)の所英樹社長は、日本の新たな捕鯨時代の幕開けに際し、複雑な胸の内を語った。【川本大吾/時事通信社水産部長】

戦後「食糧難時代」の救世主

 捕鯨の歴史を簡単に振り返ると、鯨は日本人の生活にかなり古くから利用されてきた。既に縄文時代には、鯨肉を食べたり、骨を土器の素材に使ったりしていたことが分かっている。魚と同様、貴重なタンパク源として、特に戦後の食糧難の時代には、老若男女を問わず牛肉や豚肉、鳥肉よりも馴染みある食材であった。赤肉の刺し身や竜田揚げ、ベーコンのほか、鍋など、さまざまな部位を地域の自慢の料理で味わっていた。

 ところが1960年代の半ばになると、鯨肉供給・消費は一気に減少する。半面、豚肉や鳥肉などの流通量が増え始め、鯨肉は自然と食卓から遠ざかった。その後、欧米を中心とした「反捕鯨活動」が活発化。クジラの管理組織である国際捕鯨委員会(IWC)では1982年に商業捕鯨モラトリアム(一時停止)が採択され、日本は87年に商業捕鯨を停止し、調査捕鯨を行ってきた。

 それ以降、日本政府は30年以上に渡ってIWCの年次会合に代表団を派遣しつつ、クジラの持続的利用を求めてきたが、反捕鯨国の多数派工作の壁を乗り越えることはできず、商業捕鯨再開の糸口すら見いだせなかった。

「一頭たりとも鯨を捕らせない」といった頑な組織運営に見切りを付け、日本は2019年にIWCを脱退。同年7月から商業捕鯨の再開に踏み切った。捕鯨の海域を領海と排他的経済水域(EEZ)に限定し、ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラ3種を合わせ、およそ300頭を捕獲してきた。

73年ぶりとなる「捕鯨母船」新造

 商業捕鯨再開から5年を前に、最近、日本の捕鯨を巡る大きな動きがあった。

 まず今年3月、大型の捕鯨母船「関鯨丸」(9299トン、全長113メートル)が完成し、操業を開始した。関鯨丸は別の捕鯨船とともに操業し、クジラを捕獲した後は、船内でクジラの解体処理が可能。このような「捕鯨母船」の建造は73年ぶりという。約75億円をかけて建造され、30年は操業可能だそうだ。

 さらに水産庁は6月中旬、ミンクなど3種のほかに厳格な資源調査の上で、新たに大型のナガスクジラ59頭の捕獲を認める方針を示し、大幅な増産の見通しとなった。ナガスクジラは、シロナガスクジラに次ぐ大型鯨類で、体長は概ね25メートル以上、最大で80トンの重量を誇る。1頭当たり20トン以上の鯨肉が取れるため、方針通りの頭数が決まれば1200~1300トンの増産が可能となる。

 鯨肉の生産体制が増強される一方、国は捕鯨対策に手厚い支援を続けている。捕鯨業の円滑な実施や鯨類の科学的データの収集、さらに持続的利用に向けた取り組みや、鯨類普及にかかる情報発信などに関し、近年は、毎年50億円を超える予算が投じられている。

 こうした中で、捕鯨組織や水産庁の担当者から聞こえてくるのは、忘れられようとしている鯨肉の消費をどのようにして盛り上げていくか、という課題である。ちなみに、日本におけるクジラの消費量は近年2000トンほどだ。

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