「英語教育」に莫大な時間とエネルギーをかける必要はあるのか?――東大の右翼学生が提起した「英語教育廃止論」
昔から多くの学生が苦しんできた英語の試験。はたして私たち日本人は英語教育にどこまで時間とエネルギーをかける必要があるのだろうか。
戦前、東京大学の右翼学生が、英語教育廃止論を唱えて物議を醸したことがある。彼らは3つの理由を挙げて、英語教育に反対したという。日本思想史研究者・尾原宏之さんの新刊『「反・東大」の思想史』(新潮選書)から一部を抜粋して紹介しよう。
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槍玉に挙げられた有名教授
現役学生からの東大批判の筆頭に、法学部生小田村寅二郎が1938年に発表した論文「東大法学部に於ける講義と学生思想生活」(『いのち』9月号)がある。この論文は大きな波紋を呼び、最終的に著者小田村は退学処分となった。
小田村が批判する東大法学部の講義内容には次のようなものがある。たとえば国際法講義では、横田喜三郎(戦後、最高裁判所長官)が英米やフランスを「文明国」として示す一方、「日本やイタリーの文化などはブラジルの文化に比すべきものである」と「侮蔑的嘲笑を含めた口調」で語った。日本は英米仏のような「文明国」ではなく、ブラジルと比べるのがお似合いだ、ということである。小田村にとって、ブラジルは「文化階次の最も低級な植民地」でしかなく、横田の言動は「祖国侮蔑」以外のなにものでもなかった。
また横田は、他国との条約の拘束を免れるためにはどうすればよいかという試験問題の答案に、「自国が当事国以外の第三国に併合せられゝばそれでよい」と書いた者が10人以上いたことを笑いながら紹介し、学生を爆笑させた。ちょうど日中戦争中で、多くの日本軍将兵が血を流している時である。自国(つまり日本)が外国に併合されればよいなどと笑いながら語ることは、小田村にとっては絶対に許せることではなかった。
その他、美濃部達吉の後継者である宮澤俊義の憲法講義では、最も重要な天皇大権の問題に一切言及しなかった(天皇機関説事件のあった時代状況を考えると言及は困難であろう)。
矢部貞治(ていじ)の政治学講義は西洋政治のことばかりで「日本の政治原理」には少しも触れなかった。小田村はこの論文の発表前に、何度も矢部と往復書簡を交わして政治学講義の対象から日本を除外した理由などを糾問していた。矢部はそれを受けて講義用テキストの表題を「政治学講義要旨」から「欧洲政治原理講義案」に変更し、講義で語られる「西欧的統治概念」は日本の天皇統治には妥当しないことなどを序文に明記した(日本学生協会『教育はかくして改革せらるべし』)。
また、行政学の蝋山(ろうやま)政道は、学生の質問に対して「思想問題は私の研究範囲外」と答えた。小田村は「人生観・思想問題」から離れた行政学などあり得ないと考えた。多くの「同胞」が血を流して戦っている中、東大法学部では欧米を崇拝し、祖国を侮蔑・無視する講義が大学自治の名の下に平然と行われていると、小田村は訴えたのである。
入試における英語試験廃止論
小田村とその支援グループが不満を感じたように、大学側は小田村の論文を思想的にも学術的にも相手にせず、学生の本分に反するという理由で処分した。つまり西洋崇拝、祖国蔑視という批判はもちろんのこと、体系や理論にとらわれる学問ではなく「人生」をこそ問うべきだ、という提言も黙殺された。
対象を客観的に把握することを第一とする学問への根本的異論だから、そもそも大学という機関で受け入れられる余地は少ない。だが、小田村らのグループは、日本人としての「綜合的人生観」の探究という主題からユニークな大学改革の提言も行っている。
たとえば、英語を中心とした強制的な外国語教育を廃止すること、その第一手段として大学入試における外国語、特に英語の試験を廃止することである。
当時の東大法学部の入試は、英語・ドイツ語・フランス語の長文和訳(いずれか一つ)が中心で、論作文が課される年も多かった。法学部教授の匿名談話によれば、高校で学んだ全科目の試験を課すことには受験生を苦しめる弊害があり、また高校時代の成績で進学先を決めることにも不公平があるからだ、という(『帝国大学入学提要』昭和10年度新版)。一高での成績と私学の成城や甲南での成績をどう比較するかは、たしかに難題である。そこで、高校の科目で最も時間をかける外国語の試験に絞るのが「比較的無難」ということになる。
小田村ら東大グループの中で、英語教育廃止を最初に提唱したのは高木尚一(しょういち)である。高木は一高で愛国主義団体に加入し、1932年に英語入試を選択して東大法学部政治学科に入学、39年に卒業した(打越孝明「『学生生活』『新指導者』の執筆者情報」)。
その高木は、「大学法科入試の時何故あんなに外国語をやらなければならなかつたか」いまだに腑に落ちないと回想する。東大法学部に入るために高校3年の2学期から英語学習に忙殺され、目に映るすべての日本語を英語に置き換える習慣まで身についた(高木の受験当時は和文英訳があった)。「高校時代は思想の鍛錬を第一にやらねばならぬ時代」と考える高木にとって、この生活は大変苦痛だった。「よまねばならぬ日本の貴重な文献古典等」の読書時間がなくなるからである。高木は「日一日と腑ぬけになりゆく」のを感じた。
しかも入学後の政治学科には、外国語の教科書を使う科目はなかった。英語ばかり勉強する必要はなかったのである。高木は、大学入試を「綜合的に文化批判能力を考査する」試験に改め、日本語作文に加え、詩歌の鑑賞論評、古典読解力、西洋哲学批判、歴史学などを課すべき、と説いた(「大学入試方法批判」『学生生活』1939年10月号)。
英語教育廃止論の3つのポイント
高木らの英語教育廃止論のポイントは、次の三点にまとめられる。第一に、日本の教育における英語偏重教育は青少年から「莫大の時間とエネルギー」を奪い、無味乾燥な英文解釈が学問への関心を喪失させている。本来、英語に割かれる時間は「日本精神思想の研究」に向けられるべきである。そうすることで、日中戦争から「世界救済」へと進む「日本の根源的エネルギー」としての青少年が養成される(宮脇昌三「英語教育廃止の文化的意義」、同右)。
第二に、オクスフォードやケンブリッジが日本語一科目の入試を実施して合否を決めるなどということは絶対にあり得ないが、日本の大学、しかも東大法学部ではそれが堂々とまかり通っている。考えてみればおかしな話で、これでは日本の大学はまるで「英国の植民地」である(宮脇、同右)。語学偏重入試とは、「拝外自屈」感情の所産にほかならない(夜久正雄「教育改革の一課題としての英語問題」、同右)。
第三に、もはや「今日文化的に特に英国より学ばねばならぬものは一つもない」(高木、同右)。日本は東洋と西洋を包摂する存在であり、西洋文化は「余すなく日本文化に摂取せられ」ている。加えてイギリスは「有色人種に対する飽くなき残虐誅求」の元凶であり、「世界人類の敵」である(宮脇、同右)。
日本の優越性をかき口説いて陶酔する右翼青年の姿が浮かび上がってくるようだが、彼らは英語教育を全廃しろと主張したわけではない。師である三井甲之の『原理日本』もそう宣言したように、日本は「東西文化融合統一」の地である。したがって、英語を媒介として「英語国民の心意」を「徹照批判説伏摂取」することも重要である。問題は、受験目的の英語偏重教育が「国民的信念感情の養成錬成」を妨害していることにあった(夜久、同右)。
実は、彼らは自分たちが世の中からどう見られているか十分に意識していた。英語教育廃止論にせよ、世間から「又ぞろ右翼がつまらぬことをいひ出した」と思われることもわかっている。「敵を知るのは百戦百勝の原理」であるとか、「外国語を排斥するなど大国民の襟度(きんど)ではない」といった反論も、百も承知である(桑原暁一「英語教育の再考を要望す」、同右)。「日本精神」を追究する自分たちが偏狭で凝り固まった集団だと見られていること、頭のよい学生は左傾化するのが自然で、馬鹿が右傾化すると思われていることもよく知っている。
しかし彼らからすれば、その認識こそが古いのである。それは「日本と云へば小さく、世界と云へば大きいと思ふ低級思想」にすぎない(小田村前掲論文)。
※本記事は、尾原宏之『「反・東大」の思想史』(新潮選書)に基づいて作成したものです。