「大谷さんの活躍で元気づけられます」…93歳を迎えた「世田谷一家殺害事件」遺族が明かす「同郷の世界的アスリート」への思い

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「なんで自分だけが残されたんだろう」

 東京に出てきたのは18歳の頃だ。地元に仕事がなかったためで、タイプライターの学校に通いながら、幼稚園の保母としてアルバイトをこなした。その頃に知り合った夫の良行さん(享年84)と23歳の時に結婚し、長男のみきおさんが生まれる。みきおさんが幼稚園に入園して以降は、毎年の夏休みに岩手へ連れて行き、1ヵ月間、義兄に面倒をみてもらった。

 みきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)の間に生まれた長女、にいなさん(同8歳)、長男の礼君(同6歳)もいつかは、岩手の実家に連れて行きたいと思っていた。

「海が見渡せる田舎の家がどんなものか、にいなや礼たちに見せてあげたかったんです。実家は築130年ですからね」

 しかしその日が訪れることはなく、一家4人全員が殺害される――。

 事件後は夫の良行さんが中心となって早期解決を訴える活動を続けてきた。節子さんは側でその様子を見守ってきたが、2012年に良行さんが他界すると、今度は節子さんが表に出て、情報提供を呼びかけるちらしを配り、メディアへの取材対応に当たってきた。

「なんで自分だけが残されたんだろうって思っていました」

 90歳を超えると、体の衰えとともに足元がふらつくようになった。昨年末の命日に行われた墓参では報道陣への囲み取材が見送られ、今年3月半ばに都内で行われた殺人事件被害者遺族の会「宙の会」の総会も、2009年の創設以来初めて欠席した。

「このままじゃ死ねない」

 節子さんは自宅で一人暮らし。現在は週に3日、デイケアーのサービスを受けている。親族が定期的に自宅に様子を見にきて、食事の作り置きを持ってきてくれるが、それ以外は基本的に一人だ。午前7時ごろに起床して仏壇に水を供え、朝食を取り、洗濯をしたり、新聞を読んだり、頭の体操のためにナンプレをしたり、日記をつけたり……。

おひとり様の老後を過ごしながら、犯人逮捕の知らせを待ち続ける日々。毎晩12時を過ぎると、カレンダーの日付欄に、解決できなかった印としてボールペンで斜線を引いている。

「みきおだけならまだしも、どうして子供たちまでもが。その疑問は消えないんです。年寄りから亡くなるはずが、その順番が反対になっちゃったのもなんでかなと思います」

 節子さんは6月下旬、93歳になった。人の話を聞き返す頻度が多くなり、耳も遠くなっているのを感じる。

「焦りもあります。なるべく元気で長生きして、私がこうやって生きているだけで犯人には圧力になるでしょう。私が亡くなったら、犯人はやれやれと思うんじゃないか。事件も忘れられてしまう。そうならないようにするために頑張って生きているんです。このままじゃ死ねない。せめて犯人がなぜあんなことをしたのか、理由をわかってみんなに報告したい」

 切迫した気持ちを吐露する節子さんにとって、海の向こうのスタジアムで響くバットの快音が、波打つ心を和ませてくれる。

水谷竹秀(みずたにたけひで)
ノンフィクション・ライター。1975年生まれ。上智大学外国語学部卒。2011年、『日本を捨てた男たち』で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。10年超のフィリピン滞在歴をもとに「アジアと日本人」について、また事件を含めた現代の世相に関しても幅広く取材。2022年3月下旬から2ヵ月弱、ウクライナに滞在していた。

デイリー新潮編集部

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