ジャニーズ取材歴50年の作家が読み解く「EXILE」「AKB48」ヒットの要因と源流

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日本芸能史の簡略図

 日本庶民の芸能娯楽は主に室町時代初期、座頭や巫女の遊芸芸人が鼓や琵琶にあわせて語る人形浄瑠璃が義太夫節などへ発展。安土桃山時代に出雲の阿国の女歌舞伎が大人気を得るが、「風俗を乱す」として禁止され、江戸時代初期から若衆歌舞伎、野郎歌舞伎へと変遷し、踊り(舞い)と芝居の興行形態に発展する(『江戸東京学事典』(三省堂)一部引用)。出雲の阿国の時代は年若い娘が裾を露わに派手に唄い、踊った。日本の芸能は男女に関わらず若い集団で踊り唄う形式が始まりで、その歴史に辿り着けばAKB48やEXILEの源流が見えてくる。私の反論は多少比喩的だが、先のフランス人が半ば卑下した(私の解釈ではそうなる)日本芸能への印象も、600年前からの伝統の一部と知れば、例の発言の意味合いに議論の余地は残される。

 現代の異能群団への評価に異論があって当然だが、異なる文化への接触は歴史的背景を理解しないと承諾しにくいし、国民の精神性が色濃い日本への礼儀は必要と思う。長く権威主義に密閉された日本芸能の閉鎖的な成り立ちが、特殊な領域なのは確かなのだから。

近代日本芸能界の変容

 昭和以降、日本芸能界の仕組みが芝居は役者、踊りはダンサー、喜劇はボードビリアン、歌唱は歌手の専門領域を暗黙の了解で侵さない一種の馴れ合いだった。各々の分野での専門性を保つ理由の偏狭的な生業(なりわい)根性が、「芸能ムラ」と呼ばれ、日本人的な情(じょう)を優先して互いの生活権を侵さない村意識が根底に蔓延(はびこ)った。「日本人が固守する互譲の精神で芸は繋がる」が実相だが、互いの個性を際立たせる芸能文化のみ認めるという不都合な言い訳の隠れ蓑を、日本芸能界では否定できない。「忖度」が常態だったからだ。ところが、進取の芸の革新性に「気遣い」は不要とHIROや秋元康は思考したのである。「人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し発展した」(ヨハン・ホイジンガ(著)、里見元一郎(翻訳)『ホモ・ルーデンス 文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』(講談社学術文庫))の言辞もある。

 文化の基準を個人の自由な遊びの選択と解釈すれば、歴史は尊重しつつ従来の価値観を破壊する精神が「芸能」と私は考える。旧態の日本芸能界からの誹謗中傷の打破を、現代の創造者の「過去の常識を疑う」が実践の核心と捉えると解りやすい。

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