ジャニーズ取材歴50年の作家が読み解く「EXILE」「AKB48」ヒットの要因と源流

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日本女性の特質「AKB48グループ」

 AKB48は移り気時代の風潮を稀代の観察眼で見極め、集団少女劇を造形した総合プロデューサー兼作詞家・放送作家の秋元康(1958年5月2日生まれ)。演劇的感性を生かし、素人に近い少女を演出で創作した歌劇団を、2005年12月に劇場デビューさせる。先輩格の「おニャン子クラブ」(秋元康制作)の素人感覚を優先する既視感を、質量で打破した秋元の演出法を分析すると、ネクスト・ドア・ガール(隣にいるちょっと可愛い女の子)をテーマに、メンバーの個性を「活動の過程で育てる法」を考案した戦術眼に思い当たる。

 過去を振り返らない戦略とは、彼女らの立ち位置をファンの人気投票(選挙と称す)に委ねる形式で、業界の意表を衝く。メンバーの選択は素人の女子が成長する「過程」をファンと共同で担う方法論で、旧来の芸能事務所主導とは真逆の演出を行ったこと。まさにちゃぶ台返し。脱退責任は各自(メンバー)任せとし、個人で鍛錬せざるを得ない自己責任を負わせる。

 彼女らがその方法論に誇りを持てたのは、出処進退を各人に任せる実力主義優先だからだ。この秋元の狙いは的を射る。以後、新たなコンセプトで乃木坂46、欅坂46、日向坂46、などを世に送る(現在、休止を含め19組織)。結果、独立を目指す彼女らはショービジネスでの立ち位置を意識して活動できた。

 番外として、先の異能群団より以前に活動を始めたのが芸能(アイドル)帝国、旧ジャニーズ一派。創業者ジャニー喜多川(1931年10月23日生まれ)の卑劣な性犯罪で社名改変(STARTO ENTERTAINMENT)したが、日系二世の彼は日本に新ミュージカルを誕生させる野望を抱き、「ボーイズ」という日本芸能界未開の、「隙間」を掘り当てる。1963年にユニゾン歌唱とインド舞踊を訓練した初代4人組を自己管理で先導。少年の透明な感性と清浄な外見を愛し「少年主演」のミュージカルを主導するが、性加害が露見。国連の人権問題に発展し、「一つの事務所の特殊な問題と矮小化しないで、傷ついた弱者に耳を傾ける勇気を持つ」の正論が日本芸能界を駆け巡った。

フランス人の異見に返信

 以上の経緯を前書きに、前述のフランス人の見解に触れてみる。先に挙げた異能群団は日本人の茶の間の便利手段「TV画面」を独占したが、TV制作者は登場人物が沈黙する画面の「間」を怖れ、それを埋める有力なコンテンツがお笑い芸人や、異能群団が「時代の置き土産」だったと気づいたと見る私は、創造者の内幕に好奇心を募らせたのは当然だった。

 第一に、AKB48のメンバー(各自の事務所は別)の将来は事務所でなく、ファンが選ぶという秋元方式の着眼点が業界の常識を変えたこと。「だから自分の個性を逸早く選択しなければ生き残れない」(当時の指原莉乃)のセルフプロデュース論が許され、団体内で「個性発揮は各自に任せる」となり、利潤追求に専念する日本の旧芸能事務所の根幹を反転させた。

 第二に、EXILEグループのHIROは個人の自己判断ではなく、高度なスキルを会得した者に限定して歌手、俳優、コメンテーターへの選択を許す「実力優先主義」を貫く。容赦なく身内感覚を剥ぎとる非情な方式を断行し、目指す先の頂点を最後通告とする。

 由って私は、秋元とHIROを、常識を疑い、古い形式に依存しない創造者と断定する。この事実はフランス人の、万人向けの芸術感性に対し、日本人は、「各人の好みに応じ、受け入れて楽しむ」の私の考えに結びつく。自由な選択とは他人の好みを侮辱し、言葉の暴力が許される意味ではない。フランスは芸術の先進国で、首都パリ市内へ世界からの訪問客(ビジター)を迎えるキャバレー(ホステスが接待する日本のシステムではなく、ステージのシンガーや、ダンサーのレビュー中心)のレベルは高い。現実にパリのキャバレー出演者が超一流のステージに立つと現地の関係者から聞いた。

 例のフランスのプロデューサー発言が、自国の文化と日本文化を比較しての「発言」としたら、筋違いの印象は拭えない。芸能の把握には歴史的背景の理解が必要で、閉鎖的だった日本の芸能分野の特殊な現状(後述)を理解しないと論じにくい。彼(フランス人)が芸能文化に関わる職種でも、日本の特殊な芸能史を辿らないと実態は掴めないと考えるのだ。

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